日めくりプロ野球 9月

【9月25日】1936年(昭11) 復活を期した沢村栄治 ノーヒットノーラン第1号

[ 2010年9月25日 06:00 ]

 【巨人1―0タイガース】今の時代なら大騒ぎの記念すべき記録だが、記録に無頓着だった草創期プロ野球(職業野球)。当時は特に騒がれもしなかった。巨人の沢村栄治投手が甲子園でのタイガース戦で初のノーヒットノーランを達成。球史に無安打無得点投手第1号として名を刻んだ。
 許した走者は四球3、失策1の4人。三塁を踏ませず、奪三振は意外と少なく7止まりだったが、阪神のエース若林忠志投手と投げ合い、見事にこれを制した。

 現在のペナンとレースとは違い、春夏秋の季節ごとに各1試合の総当りやトーナメントで場所を変えながら戦っていたが、沢村が初めての大記録を成し遂げたのは、第2回(秋)日本野球選手権大阪大会。巨人は5勝1敗で1位となったが、この年スタートした職業野球で巨人が初めて首位の座に就いた大会でもあった。
 4月27日に始まった職業野球の公式戦だが、当時巨人は第2回米国遠征中で不参加。帰国後の7月に行われた「連盟結成記念全日本野球選手権」で、職業野球参戦となったが、7試合で2勝5敗の成績に終わった。7球団中6位と低迷に米国で76試合を戦ってきた疲れが抜けぬまま大会に参加したとはいえ、「これがあの巨人か?」とファンの目から見ても精彩を欠いたプレーが目立った。
 特に沢村の不振は目を覆うものがあった。先発で投げてはKOされ、リリーフでも勝ち越し点を奪われるなど、2年前に全米選抜チームから9奪三振を記録した「スクールボーイ・サワムラ」の面影はなかった。米国遠征でも11勝したものの同じ数の11敗。防御率は主力4投手の中で最低の4・96は一番悪い数字だった。
 そのスランプを克服したのが、秋の甲子園大会を前にした、群馬・館林での10日間合宿だった。巨人軍の歴史の中で語り草になっている猛特訓。沢村も投げ込みをすることでフォームを修正。好調時の球速が戻り、縦に大きく割れるカーブ=ドロップもキレが良くなった。
 「オレは負けるのが大嫌いや。秋は死に物狂いや」と強い気持ちで大阪に乗り込んだ。9月18日の第1日目に金鯱軍に4―0で快勝。先発した沢村は3安打9奪三振で完封勝利を挙げた。23日は阪急戦。2点を失ったが11奪三振で完投勝利をマーク。そして中1日で迎えたタイガース戦だった。
 以後、タイガースは「打倒・沢村」に執念を燃やしたが、沢村は翌37年5月1日にも今度は東京・洲崎球場で再度タイガース相手にノーヒットノーランを達成。職業野球第2号の快挙は、また沢村の右腕によって生まれた。

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