日めくりプロ野球 9月

【9月30日】1999年(平11) 99年の歓喜は背番号99が決めた 井上一樹フェンス直撃2発

[ 2010年9月1日 06:00 ]

 【中日5―4ヤクルト】「勝ちたい。勝って決めたい」その一念が打球をフェンスまでもっていったのかもしれない。左翼フェンス直撃の一打で一塁走者は長駆ホームイン。0―4だった試合を8回、とうとう逆転した。
 ヤクルト・山部太投手から殊勲の二塁打を放ったのは、中日・井上一樹右翼手。4回にも中堅フェンス直撃の二塁打で2点目を叩き出した男は、二塁ベース上で何度もガッツポーズ。わき上がる三塁側ベンチと観客席の反応を見ては笑いが止まらなかった。

 7回途中で2位巨人が横浜に敗れ、中日の11年ぶり5度目の優勝が決まった。が、自分たちで勝って星野仙一監督を胴上げしないことにはどうにもしまらない。開幕から21試合連続安打を放ち、日本タイ記録となるチームの開幕11連勝の象徴となった井上は、最高の結末にすべく打席に立ち、左翼ポール際に逆転の一打を運んだ。
 そして最高の瞬間を迎えた。「ウイニングボールがどうしても欲しかったんですけど…。でもいいです。試合を決める1本が打てたから」と井上。敵地神宮球場で7度宙に舞った星野監督も涙を流したが、10年目でレギュラーをつかんだ遅咲きの男も号泣しながら歓喜の輪の中にいた。
 89年ドラフト2位指名で鹿児島商高から中日入り。将来を期待された左腕投手だった。1軍で9試合登板しながらも、腰を痛めて野手に転向したのは4年目。高校通算40本塁打の長打力が買われてのものだった。
 ファームでは打てても上では…の繰り返し。9年目の98年、水谷実雄打撃コーチが「井上は上で使って一人前にする」と強く推したことでようやく1軍に定着するようになった。
 そして10年目の99年。井上は星野監督と一つの賭けをしていた。ゴルフコンペの際に「3割を打つ」と堂々宣言。目標達成なら賞金100万円が井上に入ることになった。
 もともと打撃センスは折り紙つき。“恐怖の7番打者”は開幕から打ちまくったが、この優勝を決めた時点で2割9分8厘。残り5試合で3割を目指すことになったが、最終的には2割9分6厘止まり。それでもプロ初の規定打席到達、初の100安打以上(133安打)は大いに飛躍したと言える最高のシーズンとなった。
 「山崎さんのためにも打ててよかった」。優勝の興奮が少し冷めた時、そうつぶやいた。優勝が決まった試合で、山崎武司一塁手は走者と接触し左手首を骨折。日本シリーズの出場が絶望となった。そのパンチ力から「左の山崎」と言われ続けていたのが井上。山崎の無念を代わりにバットに込めて放ったフェンス直撃の2本の二塁打だった。
 祝勝会場に用意された1001本のビール(星野“せんいち”にちんで用意されたキリンビールの提供)。頭からシャワーのように浴びながら、会場に駆けつけた山崎と喜びを分かち合った。

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