日めくりプロ野球 9月

【9月19日】1976年(昭51) 新人王に急接近 ジャンボ古賀正明 最下位の数少ない楽しみ

[ 2010年9月1日 06:00 ]

 【太平洋2―0日本ハム】観衆3000人。日曜日なのに閑散とした九州・小倉球場のダブルヘッダー第1試合。6位太平洋クラブライオンズと5位日本ハムの10回戦で、太平洋のルーキー、古賀正明投手が8安打を浴びながらも完封勝利を挙げた。
 これで2ケタ10勝目。「ジャンボならやってくれると思っていたよ。あとはどれだけ勝ち星を積み重ねられるかだ。オレにとって今の楽しみはこれだけだからな」。

 微笑む江田孝投手コーチが自分の息子のように手塩に掛けて育てた1メートル89の長身右腕は、新人王候補。南海・藤田学投手と一騎打ちとなっていたが、藤田はこの時点で8勝。15日のロッテ戦に続いてシャットアウト勝ちの古賀が新人投手としては2ケタに一番乗りしたことで、レースは一歩リードという様相になった。
 「きょうはツイていた。2、3点取られても不思議じゃなかった」と古賀。1死三塁のピンチが3度、9回にも3本のヒットを浴びたが、得意のスライダーで後続を断った。ルーキーとはいってもこの時すでに27歳。「新人王の緊張感?別にないです。投げる試合に全力を出して勝つだけ。それよりまだ負け数の方が1つ多い。これを何とかしたい」と神妙に答えた。
 2年連続ドラフト1位指名された投手である。74年、7番目の指名権を持っていた阪神が四国・松山の社会人チーム、丸善石油のエースだった古賀を指名した。「高校四天王」の一人として数えられた、茨城・土浦日大高の工藤一彦投手を2位にしてまで、タイガースはトップにした。
 プロ入りの希望はあったが、阪神とは条件が折り合わなかった。「安定した会社を辞めてプロ入りするわけだからそれなにのものでないと…」と古賀。東京・日大三高時代は甲子園に出場できず、法政大でもリーグ戦はわずか2イニングしか投げていない、遅咲きの男は地に足をつけて将来を考えていた。
 翌年、指名権が12球団中最後のクジを引いてしまった太平洋が1位指名。「ウチとしてはとても欲しかった選手。ここまので残っているとは思わなかった。ラッキーでした」と担当の重松通雄スカウトは小躍りして喜んだ。
 「身長の割にスピードがない」という評価も、コントロールの良さでカバーし、この年最終的に11勝を挙げた古賀。最下位にあえぐ太平洋の中で、首位打者を獲った9年目の吉岡悟内野手とともに古賀が新人王になるかどうかが、球団関係者、ファンの楽しみだった。
 が、新人王は結局藤田に決まった。10月3日、平和台で古賀と藤田は直接対決をし、5―2で藤田が投げ勝ち、2ケタ勝利に到達すると、10月7日の阪急との最終戦(大阪)でも2失点完投で11勝目。規定投球回数にも届き、防御率はリーグ2位の1・98。負け数も古賀の13よりはるかに少ない3では勝負がついた感は否めなかった。
 ただ、藤田はプロ3年目、古賀はルーキー。最下位の太平洋でエース東尾修投手の13勝に次ぐ勝ち星を挙げたことが評価のポイントではあった。注目の11月3日、運命の投票で藤田は98票を獲得。古賀は88票。「最下位で印象が悪かったのだろう」と江田コーチはガックリと肩を落としたル
 古賀はその後、ライオンズが西武になった直後にロッテへトレード。1年おきに巨人、大洋と転々とし、9年目の84年に引退した。プロ野球史上2人目となる、12球団からの勝利という珍しい勲章も手にしたが、一生に一度しか獲れない勲章を逃したことが、その後のトレード人生の道を歩ませたのかもしれない。

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