日めくりプロ野球 9月

【9月2日】1983年(昭58) 異例のシーズン中呼び出し 奇々怪々の山本一義監督の“留任”

[ 2010年9月1日 06:00 ]

 【ロッテ2―0近鉄】西宮球場でナイターを終えた翌日、朝一番の新幹線でロッテ・山本一義監督ら首脳陣は上京した。この日は川崎で近鉄との試合があったものの、始発で帰らなければならないほど急ぐ必要はなかったはず。それでも取り急ぎ東京へ戻ったのは、重光武雄オーナー直々に呼び出しがかかっていたからであった。

 シーズン中異例とも言える、本社への出頭命令。9連敗中、球団史上初の最下位が現実的になってきた段階でオーナー自ら監督以下コーチ諸氏に対して事情聴取を行った。
 3年契約の2年目の山本監督だったが、解任通告もあり得るとロッテ番の記者は色めき立った。会談後に口を開いた松井球団社長は「山本監督留任が前提でトレードやドラフト、コーチ陣のてこ入れなどチームの強化方針を話し合った。最下位でも監督は代えない方向で意見を出した」と説明したが、重光オーナーを直撃すると別の答えが返ってきた。「留任?いえいえ全くの白紙です」。
 6回途中で雨天コールドとなり、10連敗を免れた山本監督は試合終了後「来年については何も聞いていない。オーナーからは何が何でも最下位から脱出しろと激励された。残り26試合を全力で戦う」と強調。三者三様の考え方にロッテナインは「一体どうなっているんだ?」と首をかしげるばかりだった。
 重光オーナーの本音は新監督の招へいだった。前任の山内一弘監督が辞任した後、後任選びが難航したロッテはパ・リーグのドン、鶴岡一人元南海監督を頼った。鶴岡元監督が推したのが、同郷広島出身で法政大の後輩でもある山本監督だった。広島引退後、カープでコーチをした後、近鉄で打撃コーチをしていたが、その指導には定評があり、鶴岡監督も自信を持って送り出した。
 後年、広島時代の金本知憲外野手を1軍で通用する打者に育てた山本は「野球への情熱は人一倍、まじめで粘り強く指導する」という評価の半面、「冗談が通じず、まじめというか堅い」とも言われ、指揮官と選手との意思の疎通を欠いたチームは浮上の兆しがなく、成績もさることながら、人気の面でもロッテはなかなか上がらなかった。ロッテ本社のイメージもあり、華のある指揮官を望んだオーナーは、一時金田正一元監督の復帰まで考えたが、なかなか候補が現れなかった。「白紙」を強調したのも、後任が見つからぬ場合もあると考え、解任と言うには時期が早いと判断したのだった。
 5位近鉄にも8ゲーム差をつけられ、球団は初の最下位に沈んだ山本監督は辞任。球団はフロントにポストを用意したが、事実上の解任でこれを固辞し、南海の打撃コーチへと転身した。
 ロッテ監督に推薦した鶴岡御大がつらい思いをさせたとして、古巣に入れた形となったが、鶴岡色の一掃を考えていた南海・穴吹義雄監督だが、山本の打撃指導には一目おいており、これを受け入れた。
 ロッテ新監督に選ばれたのは、かつてのスター選手、稲尾和久元西鉄監督。ミスターオリオンズ、有藤道世内野手が引退してチームを率いるまでの中継ぎといわれたが、84、85年連続2位とチームを立て直した。
 
 

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