日めくりプロ野球 9月

【9月30日】2001年(平13) 槙原寛己、斎藤雅樹、村田真一、そして長嶋茂雄

[ 2009年9月1日 06:00 ]

最後の登板を終えた槙原(中央)から斎藤(左端)にボールが手渡された。村田(左から2番目)にとってもラストゲームだった
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 【横浜9-4巨人】もう2度上がることはないと思っていた東京ドームのマウンドに、巨人の背番号17槙原寛己投手が立った。前年の日本シリーズ第1戦の先発マウンド以来、約1年ぶりに実戦復帰。連覇の夢がついえたにもかかわらず、5万5000人の観客で超満員になったスタンドから万雷の拍手が送られ、マウンドには背番号3がボールを握りながら待っていた。

 「最後だな。とにかく頑張れ」。長嶋茂雄監督がそう声をかけると、我慢していたものが目からこぼれ落ちそうになった。「でも最後は笑顔で終わりたかったから」。きごちない微笑みだったが、湿っぽいラストにはならなかった。
 右肩痛、右足首痛…満身創痍の右腕はひっそりとユニホームを脱ぐはずだった。が、前日の29日に1軍へ呼ばれた。長嶋監督の心遣いが嬉しかった。80年代から90年代、20世紀末のジャイアンツの一時代を作った男に最後の花道が用意された。
 万感の思いで投げた5球はすべてストレート。横浜・谷繁元信捕手は空振り三振に倒れた。「谷繁君が気を遣ってくれたんでしょう」(槙原)という“お約束”の三振かもしれないが、それを感じさせない見事なフルスイングだった。
 槙原から差し延べられた右手で握手を交わし、今度は斎藤雅樹投手がマウンドへ。82年ドラフト1位の槙原、翌83年1位の斎藤というリレーに、ドームのG党のボルテージはさらに上がった。
 「すごい歓声で足がガタガタ震えた」という斎藤。かつての不動のエースも19年、425試合目の登板を最後に現役を退き、投手コーチとして再スタートを切ることが決まっていた。小川博文三塁手、デーブ・ドスター二塁手の2人を8球で連続三振に仕留めた斎藤。渾身のストレートを気持ち良く投げたことで悔いはもうなかった。
 桑田真澄投手とともに3本柱と呼ばれた2人の最後のボールを受けたのは、村田真一捕手。“チュウ”と呼ばれた男も、槙原、斎藤同様これがラストゲームだった。「最後に2人のボールを受けられるようにしてくれた長嶋監督に感謝したい」と目を真っ赤にしてマスクをかぶった。
 7回、杉本友投手から通算673本目の左前打を放った。「一塁ベースに立てただけで言うことないわ。自分でもこんなにできるとは思ってへんかったし、もうおなかいっぱい」。81年のドラフト5位。ドラ1の槙原、斎藤から比べれば、レギュラーをつかむのに10年かかった。アキレス腱断裂、顔面骨折など選手生命を脅かすケガに襲われた村田にとって20年の現役生活はまさに奇跡だった。
 そして、この試合3選手以上に、スポットライトを浴びたのが、長嶋監督だった。この2日前、9年間の第2次政権に終止符を打ち勇退、原辰徳ヘッドコーチに道を譲ることを表明。この日が本拠地での最後の勇姿だった。
 試合終了後、ナインによって5度宙に舞った背番号3は27年前の「巨人軍は永久に不滅です」の熱い名言とは打って変わり、21世紀のチームに思いをはせて、最後のメッセージをファンに届けた。
 「チームも60年余の数々の栄光を重ねて参りましたが、来季からは若い世代の人たちのパワーに託しまして球団のさらなる発展と繁栄に期待しつつ、若い指揮者、原新監督にバトンを渡すことになりました」。
 翌10月1日の甲子園での阪神戦を最後に巨人のユニホームを着た、背番号3は静かにグラウンドを去って行った。

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