日めくりプロ野球 9月

【9月21日】1980年(昭55) 西武、球団新!近鉄、日本新!

[ 2009年9月1日 06:00 ]

80年オフの納会の1シーン。(左から)土井、一人おいて、山崎、田淵、根本監督、東尾、松沼弟、大田ら名だたる猛者がいたチームだった
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 【西武5-1日本ハム、近鉄11-1南海】前年45勝しかできず、最下位に沈んだ西武。福岡から2年目の秋、西武線沿線のファンの応援を背にして前身の西鉄以来、17年ぶりの優勝に手が届く位置にいた。
 前期最下位だった西武だが、後期は好調。9月9日の近鉄後期10回戦(西武)に5-4で勝ちネ後期6度目の首位に立つと、この日までチーム最長の12日間キープ。この日も6回に1点ビハインドの展開から、山崎裕之二塁手の左前2点適時打で逆転。その後も加点し、日本ハムを一蹴した。

 「気合い勝ちだよ。燃えたね」といつもクールな山崎が熱く語れば、本調子ではない2年目の松沼博久(兄)を好リードした、45歳野村克也捕手も「初球は全力投球、2球目からはオレに任せろ」ひと言で引っ張り、完投勝利まで導いた。山崎はロッテで、野村は南海で、それぞれ優勝経験者。ここ一番の勝負どころを心得ていた。
 ベテランの活躍での快勝もさることながら、ライオンズにとって所沢移転が間違いではなかったことが証明された1日でもあった。日曜日のデーゲームの観衆は満員の3万8000人。主催59試合目で計138万人となり、移転1年目の136万5000人を上回っただけでなく、東映(現日本ハム)が1962年(昭37)に記録した136万6500人を18年ぶりに超える、パ・リーグ新記録を達成した。
 息切れした西武は9月30日に首位から陥落すると、結局4位に終わったが、この後期の“あわや優勝”の雰囲気は、西武を人気球団に押し上げる起爆剤となった。田淵幸一内野手らのスター選手に、松沼兄弟ら将来チームを背負って立つ選手もおり、“これから”を感じさせる選手が多かったのが、さらに人気を後押しした。
 特に球場に通じる西武線沿線のファンが多かった。当時、選手の多くが“電車通勤”しており、ファンに親近感をもたれたこと、オフには沿線のスーパーマーケットなどへも積極的に出向き、サイン会を開くなど、何も接点のなかった福岡から来たチームの地元周辺地域への浸透を図った。
 都心から電車で1時間以上かかる立地としては“最悪”の球場だったが、まず沿線住民がファンになると、埼玉にプロチームがなかったことで待ちわびた県民が電車やバスを乗り継ぐ手間も惜しまず球場に集まった。この時既に来季のシーズンシートの予約も50席入った。当時巨人を中心としたセ・リーグ人気の中で、閑古鳥が鳴いていたパ・リーグの球場だったが、西武の新しい風が吹き込むことによって、パの各球団にも効果が波及。ファンサービスに力を入れるようになり、観客動員は伸びた。
 この日は大阪球場で南海に圧勝した近鉄が代打の林正広内野手の2号本塁打で、78年に広島が記録したシーズン205本塁打の記録を破る206本目となり、日本新記録を達成。数々の新記録が出たパ・リーグ後期の戦いは、10月11日の最終戦まで優秀決定がもつれ込み、近鉄が西武に10-4で大勝して優勝。プレーオフでロッテを3タテし、2年連続日本シリーズに進んだ。

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