日めくりプロ野球 9月

【9月18日】1983年(昭58) 前代未聞!1イニングで2度の退場劇

[ 2009年9月1日 06:00 ]

ジュニアオールスターでMVPを獲得した時の南海・吉村。その才能は韓国で開花した
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 【阪神3-1南海】審判への暴行、その5分後には選手同士の乱闘…。1試合どころか、1イニングで別々のプレーによって4人が退場を宣告されるという異常事態が、日曜日の甲子園球場、入場料200円の試合で起きた。
 事の発端は新人左腕投手のけん制球だった。ウエスタンリーグ阪神-南海14回戦、1-1の同点で迎えた延長10回表、南海は吉村元富内野手が四球で出塁。俊足の吉村を警戒して、阪神の浜岡浩幸投手は一塁へけん制球を投げた。

 「ボークだ!」。一塁コーチスボックスの桜井輝秀守備走塁コーチが大声を上げた。服部浩一一塁手がベースについていないにもかかわらず、不必要なけん制をしたと桜井コーチは木村孝一一塁塁審に抗議した。
 しかし、木村塁審は認めない。桜井コーチの執拗な抗議にベンチにいた南海・元田昌義打撃コーチも加勢。押し問答が続き、気がつくと2人で審判を突き飛ばしていた。
 当然退場である。抗議内容はともかく、一方的な暴力行為であることは確かだった。南海・小池兼司二軍監督が審判団に謝り、6分間中断の後、試合は再開された。
 次の問題のシーンはすぐにやってきた。1死一、二塁で南海・中出謙二捕手が三遊間を破る左前打を放った。二塁走者の吉村が三塁ベースを蹴り本塁へ突入。好返球と阪神のルーキー木戸克彦捕手のブロックで林忠良球審は「アウト」の判定を下した。すると、木戸が吉村のことをもう一度タッチするような仕草でその体を突いた。
 「スパイクで顔狙っただろ!」と木戸が形相を変えて言うと、吉村のパンチが飛んだ。ただでさえ、その前のコーチ2人の退場で興奮している両チーム。総出で取っ組み合いになるのに時間は要らなかった。
 木戸と吉村はもちろん、南海・藤田学投手は阪神・前田耕司投手を追い掛け回し、レフトのラッキーゾーンの手前で捕まえると、殴る蹴るのやりたい放題。試合そっちのけで沈静化するまで10分近くかかった。
 結局、木戸と吉村が退場に。その後、コーチ2人に罰金5万円、選手2人は1万円が課された。木戸と吉村の2人の罰金が安かったのは「ファームの選手からそう高額の罰金を取るのは気が引ける」という甘いものだった。
 木戸は後に85年の阪神Vメンバーとして球界に名を残したが、吉村はその後紆余曲折の野球人生を歩んだ。
 愛知・中京高(現、中京大中京高)からドラフト外入団。83年の1軍最終戦となった10月18日、大阪球場での阪急戦の7回、大石直弘投手からプロ初安打となる左越え本塁打を放った。翌84年のジュニアオールスターでは決勝三塁打を放ちMVPを獲得した。
 しかし、プロ5年目となった85年1月、自主トレ開始から1週間後に突然退団を申し出た。理由は「プロでやっていく自信がなくなった」の一点張り。自分より後に入った選手が1軍に呼ばれ、5年目でも2軍スタートになったことでやる気が失せてしまったようだった。
 これで野球とはおさらば、にはならなかった。韓国籍の吉村はあの大打者・張本勲の勧めで韓国球界入り。ピングレ(現ハンファ)イーグルスに入団。2年目の87年に3割2分3厘、89年には3割2分7厘をマークし首位打者のタイトルホルダーとなるなど、大変身を遂げた。92年まで7年間韓国で現役を続け引退。通算528安打、38本塁打、2割8分2厘の成績を残した。
 「中心選手として活躍できて良かった」。首位打者を獲得した際、吉村はそう話したが、韓国で燃え尽きた野球生命だった。

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