日めくりプロ野球 9月

【9月14日】1987年(昭62) 初のファーム日本選手権 巨人VでMVPに加茂川重治

[ 2009年9月1日 06:00 ]

初のファーム日本選手権でMVPとなった加茂川。潜在能力は高かったが力を出し切れず、1軍登板16試合0勝0敗、防御率5・46で引退した
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 【巨人9-0中日】“鬼軍曹”と呼ばれた背番号78が何度も宙を舞った。胴上げしているのは、何度も殴られ厳しい言葉をぶつけられた教え子たち。「普段の練習や試合と同じようにやれ、と言った。それを大事な時にすべて出してくれたことがたまらなくうれしい」。“鬼の目にも涙”とはまさにこのこと。巨人・須藤豊2軍監督は何度も目から流れ落ちるものをぬぐったが、次から次へとあふれ出てきて、止めようがなかった。

 神奈川・平塚球場で行われた、第1回ジュニア日本選手権、いわゆるファームの日本シリーズでイースタンリーグ優勝の巨人が、ウエスタンリーグの覇者中日に大勝。1回勝負の2軍王者決定戦の初代チャンピオンは巨人に決まった。
 MVPは6安打完封勝利を挙げた加茂川重治投手。茨城東高から83年ドラフト4位で入団。同期の水野雄仁投手(ドラフト1位)、香田勲投手(同2位)の陰に隠れて、4年間でファーム16勝と目立たなかった右腕が、前年の米教育リーグで当時流行のSFF(スプリット・フィンガー・ファースト)を覚えると、見違えるように投球の幅が広がり、この年イースタンで11勝。一発勝負の大舞台を1戦の先発を任された。
 人気グループ「チューブ」の曲をウォークマンで聴きながら球場入りした加茂川はこんなことを言った。「あまり眠れなかったけど、眠ったら夢を見た。細かいことは忘れたけど、完投した夢なんだ。その通りになるかな…」。
 正夢だった。ストレートを基本線に自慢のSFFやスライダーを駆使してドラゴンズ打線を翻弄。1回を除いて毎回走者を許したが、決まって各回とも1人だけしか出さなかった。大崩れしない安定した投球は、シーズン中と同じ。まさに須藤監督が標榜した「普段と同じ野球だった」。
 「100万円?11歳の弟に自転車を買ってやる約束をしていた。うーん、それでもまだ余るなあ」。推定年俸320万円。両軍の出場32選手中、最も安い給料の投手が一夜で約4カ月分の“特別ボーナス”を獲得した。
 この好投が買われて加茂川はシーズン終盤1軍に昇格。翌88年も1軍で投げた。しかし、王貞治監督に強烈な印象を残すことはできず、計10試合で0勝のまま、89年に因縁の中日へ西本聖投手とともに中尾孝義捕手との交換で移籍。しかし1年で退団し、90年には恩師・須藤監督が指揮官となった大洋へ。ここでも1軍での勝ち星は得られず、1軍未勝利のまま、91年に引退した。
 ファーム選手権で中日の3番手で登板したのが加茂川と同じ4年目の山本昌広投手。通算200勝を達成した、山本昌投手も22歳のこの時は7点差をつけられてから登板した敗戦処理要員だった。
 MVPで将来を期待された投手がプロで1つも勝てずにユニホームを脱ぎ、2軍でも“その程度”にしか扱われなかった左腕が09年も現役を続け、9月11日のヤクルト21回戦(ナゴヤドーム)で現役22年連続勝利のセ・リーグ新記録を記録。通算205勝(09年9月14日現在)まで白星を積み重ねた。あの日の2人の立場を考えれば、現在の野球界で残した実績の差は誰も想像できなかったに違いない。

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