日めくりプロ野球 9月

【9月12日】1964年(昭39) これが最後とは思ってもみなかった 藤田元司、完封で引退

[ 2009年9月1日 06:00 ]

藤田は引退後もエースナンバーの背番号18を2年間付け続けた。“エースのガンジー”が18を逆にした81を付けたのは67年から。18は2年目の堀内恒夫投手に継承された
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 【巨人4-0国鉄】9回、あと3人というところで巨人・藤田元司投手は初めて連打を食らった。「4点あります。気楽に行きましょう」。慶大の後輩、大橋勲捕手がマウンド上の背番号18を声で引っ張った。
 続く打者は国鉄6番高山忠克中堅手。この試合1本ヒットを打たれていた右打者に大橋は「きょう1番いいボールや。これで勝負や」とシュートのサインを出した。

 注文通りにバットの芯を外れて黒江透修遊撃手の前に転がった打球は、6-4-3とわたる併殺打。二塁走者は三塁に進んだが、一気に2死となったことで、ゴールが見えた。
 後続を打ち取り試合終了。藤田は96球でシーズン2度目の完封勝利、8勝目を挙げた。既に優勝争いから脱落していた巨人。かつて2年連続MVPを獲得した元エースも今は投手コーチ兼任の肩書き付き。右肩痛が完治せず、引退もささやかれていたが、このシャットアウトに巨人ベンチはお祭り騒ぎ。川上哲治監督も笑顔で出迎えた。
 「僕の目標はプロ10年で150勝すること。これで121勝か…。来年は10年目だけど、もう1年追加してあと2年で30勝くらいしたい。キツい?この肩も2年くらいはもつでしょう」。5月9日の対中日6回戦(後楽園)以来の完封に、藤田の口調も軽やかだった。9月に入り、グラブも新調。来季はコーチよりも選手生活を主体にやっていきたいと自分の中で考えはまとまっていた。
 ところが、藤田の公式戦での登板がこれが最後となった。優勝した阪神に11ゲーム差をつけられての3位に終わった巨人は、川上監督の留任を早々と発表。コーチ陣のテコ入れに着手した。その目玉が藤田の投手コーチ専任だった。
 藤田は64年のシーズン8勝11敗も防御率は2・73でリーグ3位。優勝した阪神の村山実投手はリーグ3番目となる22勝をマークしたが、防御率は3・32で藤田の方が優れており「往年の速球はないが、まだ変化球で勝てる」という意見が、チーム内の大勢を占めていた。
 しかし川上監督は違った見方をしていた。肩痛の元エースがだましだまし投げていることが、、かえって「若手やほかの投手の成長を妨げている」と判断。頼れる兄貴分がユニホームを脱ぐことで、若手らが一本立ちすることを強く望んだ。川上監督就任から4年。1年おきにしか優勝できない巨人が、常勝巨人になるために指揮官は藤田引退という荒療治に出た。
 「来年は10年目。本音を言えば現役でやりたいが、いかにすればチームが強くなるかを考えると、自分ののわがままをいうのは難しい」。かつては短気で知られた藤田も、すでに33歳。物分りのいい巨人軍の紳士になっていた。
 V奪回を目指した巨人は川上監督の狙いが的中。藤田投手コーチの指導でくすぶっていた才能が花開いた。“8時半の男”という代名詞が付いたリリーフエース宮田征典投手は過去3年で計15勝だったのが1年で20勝。61年に17勝して以来不振だった中村稔投手は、前年0勝から20勝をマークした。2人合わせて前年7勝から一気に40勝となり、2位中日に13ゲーム差をつけてぶっちぎり優勝。この65年から巨人のV9は始まった。

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