日めくりプロ野球 9月

【9月2日】1997年(平9) 最後がMAX!石井一久、優勝引き寄せたノーヒットノーラン

[ 2009年9月1日 06:00 ]

天王山でノーヒットノーランを演じた石井一久。立ち上がりの悪さは有名だが、ヤクルト時代は序盤に攻略しないと打ち崩せない投手だった
Photo By スポニチ

 【ヤクルト3-0横浜】ラストボールとなった121球目のストレートはこの日の最速151キロを記録した。横浜の2番波留敏夫中堅手のバットが空を切った瞬間、ヤクルト・石井一久投手のプロ野球史上65人目で76度目のノーヒットノーランが完成した。
 左翼を守っていたデュウェイン・ホージーがマウンドに一目散に駆けつけ、石井を担ぎ上げると、逆さ向きにしたまま三塁側ベンチへ。祝福の輪が出来ていたヤクルトナインの中に放り込んだ。

 「最後の球が最速?そりゃあ、最後ぐらい気合い入りますよ。でも本気で投げたのは最後だけ」。どこまで本当なのか分からない言葉を述べた石井。球は走っていたものの、4回まで4四球。乱調気味だったが、駒田徳広一塁手を併殺打に打ち取ってからは5回以降、1人も走者を出さず完ぺきな投球。「アンビリーバブル。グレート!グレート!あんな投手を見るのはランディ・ジョンソン以来だよ」。セ・リーグ各球団を震え上がらせた“マシンガン打線”が封じられ、4番のボビー・ローズ二塁手も悔しさを通り越して、ただ驚嘆するしかなかった。
 制球は定まっていなかったが、調子は良かった。ノーヒットノーランの予感がしたのは3回が終わってからだった。ベンチ裏にいた同僚の伊藤智仁投手に「きょうはイケそうな気がします」と“宣言”。あ然とする伊藤を尻目に、回が進むごとに直球がうなりを上げてビシビシ決まった。
 それでもこの男の考えていることはよく分からない。8回を終了し、依然として無安打投球ながら石井は野村克也監督に言った。「もう、やめときますか?記録作ったら今後の野球人生が何だか怖いし…」。前年96年のオフに米国で左肩の手術を受けたことで、1試合100球の球数制限があることも降板発言を切り出した理由の一つだった。
 8回まで107球。限度といえば限度だったが、野村監督は一喝した。「アホッ、めったにないことやから最後まで投げろッ!」。9回は14球で料理。あっさり記録達成してしまったのも石井らしかった。
 素質だけで投げているように周囲には映ったが、体調管理には人一倍気を使っていた。登板の後にはトレーナーのマッサージは受けなかった。「筋肉の回復力をつけるため」というのがその理由。肩を手術した際に、リハビリ施設を利用した大リーグ、クリーブランド・インディアンスのやり方を採り入れたものだった。水分は特定のミネラルウォーターのみしか飲まず、本拠地神宮での登板後は必ずトレーニングルームで汗を流してから引き上げた。
 「相手を見下して投げとる。エースの風格が出てきたな」と野村監督もご満悦。それもそのはず、開幕以来首位を走るヤクルトだったが、8月に21勝6敗と驚異的なペースで白星を重ねた横浜とのゲーム差は3・5まで縮まっていた。敵地での首位攻防戦、大切な第1ラウンドに相手の自慢の打線を完ぺきに封じての勝利は、ペナントの行方を決定付けた。
 横浜は結局3連戦で3連敗。79年(昭54)以来の2位はキープしたものの、60年(昭35)以来の優勝は、翌98年まで待たなければならなかった。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る