日めくりプロ野球 9月

【9月29日】1970年(昭45) バッグにドイツ製ピストルが…“ビッグC”取り調べを受ける

[ 2008年9月27日 06:00 ]

南海・野村克也監督(右)に監督初勝利をプレゼントしたクラレンス・ジョーンズ。打撃だけでなく、守備も堅実でダイヤモンドグラブ賞も獲得している
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 【南海7-1西鉄】9月28日、大阪・伊丹空港。パンアメリカン航空搭乗口で1人の外国人女性が呼び止められた。手荷物の中から出てきたのは、ドイツ製のレボルバーピストル。弾こそ入っていなかったが、回転式7連発32口径の銃を所持していたのは、ローリン・ジョーンズさん。南海の1年目助っ人、クラレンス・ジョーンズ一塁手の夫人だった。
 シーズン終了が近づき、夫よりひと足先に米国へ帰国するために夫人は空港に来たわけだが、思わぬ危険物の発見に空港も大慌て。早速理由を聞くと、ローリンさんは即答した。「それは夫のものです」。

 ピストルは空港で預かり、夫人には特に疑われるようなことがなかったため、飛行機には搭乗できたが、許可を得ずに銃を保有していたとなるとジョーンズは日本の法律では銃刀法違反になる。大阪府警豊中署空港警備派出所は翌30日、ジョーンズから事情を聴くため球団を通して出頭を要請した。
 ジョーンズの釈明はこうだった。「ピストルは(大リーグ)シカゴ・カブスに在籍していた時に友人に勧められて買った。でもあくまで記念品。昨年、冬にメキシコのウインターリーグに参加する時、“メキシコはヘビが多い”から持っていった方がいいと言われて、スーツケースに入れた。その時のスーツケースをそのまま持って来日してしまった。荷物整理をしたが、ピストルの存在を忘れていた」。
 忘れていたとしても入国時によく引っかからなかったと、今さらながらに思うが、とにかくジョーンズ夫妻と4歳の長男が来日したのと同時にピストルも結果的に“密輸”してしまったのだった。
 証言どおり、使われた形跡はなく、実弾も入っていなかったことや球団が身元引受人ということで、書類送検で済んだが、警察で2時間も事情を聞かれ、夕方に解放されたジョーンズはヘトヘト。大阪球場での西鉄18回戦は練習もせずに出場した。南海は14安打7点を奪い圧勝したが、5番のジョーンズは4打数無安打1三振とひとり蚊帳の外といった感じだった。
 191センチ、93キロの左打者。その体格から放つ豪快な本塁打から、ファーストネームのクラレンスの頭文字Cを取って付けられたニックネームは“ビッグC”。メジャーでは67年にカブスで53試合に出場し、34安打2本塁打、打率2割5分2厘ながら3Aでは毎年コンスタントに20本塁打以上をマークしていた。70年(昭45)、就任1年目の南海・野村克也捕手兼任監督はヘッドコーチのドン・ブレイザーに新外国人選手の獲得を一任していた。ブレイザーいわく「荒さはあるが長打力は魅力」。“ケチ”と言われた南海らしく、契約金180万円、年俸650万円という格安で獲得した助っ人だった。
 ジョーンズはお買い得な選手だった。70年の開幕、東京スタジアムでのロッテとのダブルヘッダー第2試合で3本塁打を放ち、野村監督の監督1勝目をプレゼント。三振も多く、打率は2割5分前後だったが、本塁打はコンスタントに30本以上放ち、73年の野村南海初優勝に貢献した。
 しかし、確立の悪さに物足りなさを感じた野村監督はジョーンズをリリース。近鉄に移った“ビッグC”は、西本幸雄監督の厳しくも我慢強い指導でさらにレベルアップし、74年と76年に本塁打王を獲得。日本で大好物となったカレーうどんをパワーの源にし、76年5月31日の太平洋前期11回戦(藤井寺)で、ジョージ・アルトマン外野手(ロッテ、阪神)の来日外国人通算本塁打記録205本を抜く206本目を放った。メジャーリーガーとして実績のあったアルトマンを尊敬していたジョーンズは「“キミが記録を作るんだ”とアルトマンに励まされたことを支えに頑張ってこられた」と満面の笑みで話した。
 36歳となり、パワーの衰えから出場機会が減った77年にシーズン終了を待たずに退団。ピストル所持で大騒ぎになった夫人とも別れ、独り身になっていた。帰米後はアトランタ・ブレーブスやクリーブランド・インディアンスで打撃コーチを務め、西本監督から学んだ「忍耐」で選手を根気よく指導した。

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