日めくりプロ野球 9月

【9月26日】1981年(昭56) 13勝投手が敗戦処理?そんなの関係ない!

[ 2008年9月24日 06:00 ]

防御率1位のタイトルを獲得した岡部。大沢ファイターズ優勝を語る上で忘れられない投手の一人だ
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【ロッテ8-4日本ハム】消化試合でありながら、さまざまな思惑が絡まった試合だった。土曜日の川崎球場ではパ・リーグ前期優勝のロッテと後期優勝の日本ハムの対戦。10月のプレーオフをにらんだ前哨戦と位置づけされたが、両軍ともオープン戦のように選手を試したり、主力投手を登板させないなど、手の内を隠してのゲームとなった。
 そんなまったりムードの中で、ただ1人緊張している投手がいた。日本ハムの5年目右腕、岡部憲章投手。ここまで26試合に登板し、13勝2敗、防御率2・72。前年までわずか2勝の投手が大ブレークし、大沢啓二監督6年目にして初となるプレーオフ進出に貢献した。
 その岡部、実はあと1イニングを投げれば規定投球回数に達し、しかもよほど大崩しない限り、防御率1位のタイトルを獲得できる位置にいた。

 「あと1回だ。気を抜くなよ」。植村義信投手コーチに背中を押され、マウンドに上がった。8回裏、4点ビハインドの展開。完全な敗戦処理だが「初先発よりドキドキした」と足の震えが止まらなかった。
 それでも打者を目の前にすると、13勝をマークした自信がすぐによみがえった。わずか5球でロッテの下位打線を3者凡退で終わらせ、投球回数が規定ギリギリの130回に到達。防御率も2・70となり、2位の阪急・稲葉光雄投手が残り試合に登板し完封しても2・76にしかならないことで、岡部のタイトル獲得が9分9厘決定した。
 岡部は登板前、“優勝請負人”ストッパー江夏豊投手からこんなアドバイスをもらった。「消化試合やから打者は早打ちや。ボール気味の球を投げても初めから手を出してくる。投げてみな」。その通りだった。3人のうち2人は初球打ち。1人も初球はファウルだった。江夏の“読み”に脱帽しながら、岡部は満面の笑みで言った。「これでアイツと堂々と勝負が出来ます」。
 岡部がアイツ呼ばわりしたのは、巨人・原辰徳内野手だった。神奈川・東海大相模高では同級生。ともに甲子園に出場したが、原は1年生からレギュラーでスーパースターだった甲子園のアイドル、岡部は控え投手で甲子園でも春のセンバツでわずか1イニングを投げただけ。天と地ほどの差があった。プロへの憧れはあった岡部だが「球は速いがどこへ行くかはボールに聞いてくれ」というのが、ネット裏のスカウト評だった。
 しかし、将来性に目をつけた日本ハムは、ドラフト外ではあったが岡部をプロの道へ誘った。「原と一緒に大学へ行っても見込みはない」と両親の反対を押し切り、プロ入り。あれから5年、原が巨人入りした年に大きな刺激を受けた岡部は前年2勝から13勝へと飛躍した。
 ロッテを倒し、前身の東映以来19年ぶりに日本シリーズ出場をつかんだ日本ハムは巨人と対戦。第3戦で先発した岡部は3回で交代したが原をキャッチヤーへのファウルフライに仕留めた。6戦目はリリーフで登板し、今度は三振を奪った。「原との対戦は燃えました」という岡部。大きな目標が達成できた安堵感で満たされてしまったわけではないだろうが、マウンドで輝きを放ったのもここまでだった。
 その後6年間で計14勝に終わった岡部は88年に阪神へ移籍。4年半ぶりの完投勝利を挙げるなどしたが、翌年戦力外に。原が選手、監督として一筋に生きてきた巨人で打撃投手として第2の野球人生を歩んだ。

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