日めくりプロ野球 9月

【9月16日】1987年(昭62) あの1回裏がなければ…残り“9回”ノーヒットノーラン

[ 2008年9月14日 06:00 ]

2回以降、ノーヒットノーラン投球だった大洋・大門和彦投手。キレのあるストレートが魅力の投手でホエールズ投手陣を支えた
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 【中日2-2大洋】2回以降は別人だった。ナゴヤ球場の中日-大洋25回戦、大洋先発の大門和彦投手は初回に3安打1四球で2点を失ったが、以後は延長10回までの9イニングで無安打4四球無失点。つまり中日自慢の恐竜打線を“ノーヒットノーラン”に抑え込んだ。
 「えっ、本当に!」。投手陣のやりくりに四苦八苦していた大洋・古葉竹識監督は、なんとか大門を一本立ちさせようと、辛抱強く完投させたが、そこまでは気がついてなかったようで、番記者に指摘されて思わずスコアボードを振り返った。しばらく絶句した後「なんとか参考記録にでもならないかなあ…」とため息混じりの言葉が漏れた。

 1回、一死一、三塁から自らの暴投で先制点を許すと、6番・川又米利一塁手に左前打を打たれ2点目。「監督さんがせっかくチャンスをくれているのに…」。そう思うと、大門は情けなくなった。初回の失点が頭から離れず、その後無安打の好投を演じても全く気がつかなかった。踏ん張りどころの6、7回には2四球ずつを出したことにも「四球を連発していつも走者を背負っていた。野手のみなさんに申し訳なくって…」と反省ばかり。試合はなんとか引き分け、自分もリリーフ投手の手を煩わせることなく完投した後にようやく“ノーヒットノーラン”を亀井マネジャーに伝えられた大門。「最後まで投げきれたことは自信になる。次もいい投球をしたい」とようやく笑顔になった。
 実は中日とは相性が良かった。プロ3年目の86年5月11日、ナゴヤでの中日6回戦でプロ初勝利を挙げると、7月10日の横浜スタジアムでの12回戦では11安打を浴びながらも1失点で初完投勝利。この年4勝中2勝がドラゴンズ相手だった。この“ノーヒットノーラン”ゲームの1週間前、横浜での22回戦ではプロ初完封を演じていた。プロ通算では36勝(52敗3S)だったが、巨人戦での2勝(8敗)に比べ、対中日戦は10勝(9敗)。一番勝ち星をマークしたチームだった。
 1983年、ドラフト4位で京都・東宇治高から大洋に入団。1メートル83、75キロの細身の体と投球フォームがそっくりだったことから、当時大洋のエースだった遠藤一彦投手をほうふつさせた。毎年期待されながらも、89、90年の8勝ずつがシーズン最多勝ち星。遠藤に代わるエースとしてホエールズを背負って立つことはできなかった。チームが横浜ベイスターズになった93年には右肩痛で7年ぶりに1軍登板がなく、オフに高木豊内野手、屋鋪要外野手らとともに大量解雇の1人として名を連ねてしまった。すぐに阪神が獲得したが、右肩の状態は思わしくなく94年に5試合に登板しただけで引退した。
 現在は京都市で保険や経営のコンサルティング会社の社長。少年野球の指導なども欠かさず、球界に恩返しをしている。

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