日めくりプロ野球 9月

【9月9日】2003年(平15) 遅かった?中日・平井、恩師に捧ぐプロ10年目の初完封

[ 2008年9月7日 06:00 ]

中日移籍後、初のオープン戦で好投し山田久志監督(左)に握手を求められた平井正史投手。その後も貴重なセットアッパーとして、07年は53年ぶりの日本一に貢献した
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 【中日3-0広島】広島・浅井樹一塁手の力ない飛球が中日・大西崇之左翼手のグラブへ収まった瞬間、マウンド上の平井正史投手に笑顔はなく、ガッツポーズさえもしなかった。3安打9奪三振、わずか93球でプロ入り10年目の初完封勝利。嬉しくないはずはないのに、その目はなぜか寂しそうで、涙さえこぼれそうだった。
 「きょうはどうしても勝ちたかった。本当は監督がいる時に、こういうピッチングをしなきゃいけなかったのに…」。ベンチに視線をやると、いつもそこにいた恩師がこの日から姿を消していた。試合前に発表された、山田久志監督の解任。ひじ痛のため、オリックスでくすぶっていた平井を山崎武司内野手とのトレードで呼んでくれたことに最高の投球で報いた時、恩師はすでにユニホームを球団から剥奪されていた。

 「これからも成長する姿を見てほしかった」。そう話すと平井はこみ上げてくるものをぐっと堪えた。「教え子の平井が完封してくれた。せめてものはなむけかな。投手が抑えて、打線が効果的に点を取る。山田監督が一番したいと思っていた試合だった」。試合を総括した監督代行の佐々木恭介ヘッドコーチの目も真っ赤だった。
 94年、愛媛・宇和島東高から「150キロ右腕」の触れ込みでオリックスにドラフト1位で入団した平井。希望だったダイエー入りではなく、不安を抱えた中での神戸行きだったが、そこで出会ったのが山田投手コーチだった。それから3年間、平井は通算284勝を挙げたサブマリン投手からピッチングのイロハを学び、ピンチでも動じないマウンドでの心構えを教わった。2年目の95年、15勝5敗27セーブで新人王、最優秀救援投手賞を受賞。阪急からオリックスになって初の優勝に大きく貢献。平井にとって一番充実した日々の支えになったのが山田コーチだった。
 7年ぶりの“再会”で、復活のチャンスをもらった。右ひじ痛に苦しみ、99年以降は未勝利だった平井が、開幕から3試合目の03年3月30日、巨人3回戦(東京ドーム)で1647日ぶりに白星を飾ると、シーズン途中からは川上憲伸、朝倉健太両投手の戦線離脱から先発に転向。KOされても山田監督は平井の可能性にかけた。
 初完封の後の平井は変わった。この後2完投を含む4連勝で9月は月間MVPを受賞。結局、12勝6敗でチームの勝ち頭、防御率も3・06で2位になり、カムバック賞に選ばれた。「9月9日の完封で自信がついた。山田監督に感謝したい」。平井の口から出た最初の言葉は恩師への謝意だった。
 カリスマ的存在だった星野仙一監督の後を受け、選手時代に中日のユニホームに袖を通さずに指揮官となった山田監督は、この年3年契約の2年目。解任されるまで59勝61敗の5位だったが、オールスター前は続投の方針だった。それが一転し、解任となった。 前年も3位、この年も借金2とはいえ、クビが飛ぶほどの成績ではなかったが、主力選手との確執、シーズン中に守護神エディ・ギャラード投手の起用法をめぐっての衝突、編成会議で球団批判とも取れる発言をしたことなどが、オーナーら本社サイドの心証を悪くした。生え抜きではなかった外様監督は、後ろ盾もなく、投手出身の星野前監督に対し、野手の代表格である高木守道元監督の復帰を願う中日本社勢力に追い落とされたというのが実状だったようだ。
 山田監督解任後の中日は皮肉にも14勝5敗1分けで2位まで浮上。山田監督が連れて来た佐々木監督代行もAクラスを置き土産に退団した。新監督は誰もがそうと疑わなかった高木元監督ではなく、一度はドラゴンズを後にし、巨人へとFA移籍した落合博満監督になった。

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