日めくりプロ野球 9月

【9月5日】1999年(平11) 3度目の復活!エース岡林洋一、スローカーブで879日ぶり白星

[ 2008年9月3日 06:00 ]

879日ぶりの白星を挙げ、ファンの声援に応えるヤクルト・岡林洋一投手
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 【ヤクルト10-7巨人】6回二死二、三塁、点差は3点ビハインド。リリーフに上がったヤクルト・岡林洋一投手が巨人の大砲、ドミンゴ・マルティネス一塁手に対して選んだウイニングショットは、スローカーブだった。
 「昔みたいにスピード出ないし、あれしかなかった」と岡林。球速107キロ。大きく縦に割れたボールは、古田敦也捕手が構えた外角低めへ。手を出したマルティネスのバットとボールの間には10センチ以上の開きがあった。

 空振り三振。ピンチを脱した汗びっしょりの背番号21にナインが次々と声をかけた。「ナイス、ピッチャー!「タマ、きてるよ!」。先発完投が当たり前、日本シリーズで3完投し“平成の鉄腕”とも呼ばれたかつてエースも、今では不利な展開で登板する中継ぎ。それでも必死に投げる姿に、ヤクルトベンチはにわかに燃えた。
 7、8回を岡林が無得点に抑えて迎えた8回裏、ドラマは当時まだ駆け出しだった、後のメジャーリーガーから始まった。
 プロ初の猛打賞となる左越え二塁打を放った8番・岩村明憲三塁手が導火線に点火すると、ヤクルト打線は巨人の繰り出した岡島秀樹、三沢興一、槙原寛己、木村龍治の4投手から6本の長短打を集め一挙6点を奪い逆転。最後は守護神・高津臣吾投手が、高橋由伸右翼手、二岡智宏遊撃手を連続三振に仕留めるなどして締めくくった。
 「おめでとう」と同い年で同期入団の高津から岡林に手渡されたウイニングボール。97年4月9日の広島2回戦以来、879日ぶりの「勝利投手岡林」だった。「長かったなあ。みんなの励ましを信じてやってきてよかった」と感慨深げに見慣れたはずの白球を何度も見つめていた。
 右肩痛で2年以上まともに投げられない日々が続いた。91年の入団以来から数えれば、長期戦線離脱は3度目。「これが最後かもしれない」との覚悟で臨んだ99年のキャンプ。かつて140キロ後半は出ていたストレートは130台半ばまで落ちた。変化球を主体にしての投球は、2軍では通用しても、真っ直ぐが走らなければ1軍では痛打される。オープン戦では結果が出ず、開幕はファームスタートとなった。
 1軍に昇格したのは6月。気温が上がるとともに、肩の調子も良くなり、同時に気持ちにも変化が表れた。「投げられるだけで幸せ」。その思いで1試合ずつ大切に投げた。それがリードしている場面でも、敗戦処理であっても、岡林はその時できる最高の投球をした。「踏ん張ればいいことがあるもんだね」。2年5カ月ぶりの勝利に、岡林が微笑んだ。
 翌2000年、引退。戦力外通告を受けた時は、他球団でとも考えたが一夜明けて「練習に行く途中、右肩に“もう一度付き合ってくれ”と言ったら、涙があふれてきて…。これが正直な気持ちなんだろうな」とユニホームを脱ぐ決心をした。
 高知から両親が移住した南米パラグアイで野球を始めたのは小学4年。中学生の時、ビデオで見た1980年(昭55)に春のセンバツで優勝した高知商高の中西清起投手(阪神)の姿にあこがれ、同校に進学。甲子園に2度出場し、専修大ではライバルの亜大・小池秀郎投手と同じ東都大学リーグ戦28勝をマークした。ドラフトではその小池の外れ1位だったが、プロでの勝ち星は小池の51勝に対し、53勝と上回った。
 引退後は2軍投手コーチを経て、ヤクルトの中国・四国地区担当スカウト。独立リーグの四国アイランドリーグから将来、大化けしそうな逸材を発掘すべく、目を光らせている。

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