日めくりプロ野球 8月

【8月27日】1968年(昭43) これが最後とは夢にも思わず…バッキー2人目の100勝達成

[ 2010年8月1日 06:00 ]

 【阪神6―1広島】広島・漆畑勝久三塁手を平凡な遊ゴロに仕留めると、グラブをポーンとたたき、背番号4が喜びを表現した。投球数138、8安打を打たれながらも1失点で完投、シーズン13勝目を挙げた阪神ジーン・バッキー投手にカメラマンのフラッシュが無数に降り注いだ。

 来日7年目でたどり着いた通算100勝目。南海、大洋で活躍したジョー・スタンカ投手に次いで来日外国人投手2人目の快挙だった。「やっとできたね。長かったよ」とバッキー。あと13勝に迫っていた大台。前半戦は打線の援護がなく、黒星を積み重ね「とても今年中は無理」とあきらめていたが、8月に入り湿っていた打線が活気付き、4勝1敗と急ピッチで勝ち数が増え、8月最後の登板でチャンスをものにした。
 「カープはこのニオイにやられたんだよ。もうユニホーム、1週間洗濯してないもんね」とおどけるバッキー。22日のサンケイ戦(神宮)で完投勝利を収め、その時の好投の縁起を担いで洗わないまま広島へ。汗の臭いがプンプンしてもお構いなしだった。もともと縁起なんて無関心だった助っ人だが、日本での生活が長くなるにつれ、それなりに気にするようになっていた。
 思えば来日したのも汗が滴り落ちる8月だった。62年、テスト生から採用されたが、1年目は勝ち星なしの3敗。「体がでかいだけで使えん」という首脳陣の反対を押し切り、藤本定義監督が新任の投手コーチ杉下茂に預けた。上半身の力だけで投げていたバッキーに腰のひねりを教え、走り込みによる下半身強化を施したことで球速は格段に上昇、スライダーに加え元々決め球として持っていたナックルの制球力もつき63年に8勝、64年には29勝をマークし、阪神をリーグ優勝に導いた。最多勝に防御率1・89でタイトルを獲得。沢村賞にも選出された。
 「あと1勝してスタンカを追い抜きたいね」と笑ったバッキー。シーズン中の達成は間違いないと見られていたが、以後勝ちは付かず、9月18日の巨人戦(甲子園)での巨人・荒川博コーチとの乱闘事件で右指を骨折。阪神にいずらくなったバッキーは半ば自由契約扱いで近鉄へ金銭トレードされた。
 近鉄では鈴木啓示投手に次ぐ先発の柱として期待され、開幕2戦目に先発。しかし、貧打に泣かされ続け負けが込むと右足の肉離れ、続いて腰の痛みでリタイア。結局腰は椎間板ヘルニアだったことが判明。手術を受け成功したが、野球への情熱が薄れたバッキーは球団に退団を申し出た。0勝7敗に終わった日本でのラストイヤー。外国人投手の勝利数単独1位になれないまま米国へ帰国した。
 帰国後は小学校の工作の教師となり、牧場も経営。親日家でOB戦や始球式などにも登場し、たびたび来日している。

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