日めくりプロ野球 8月

【8月26日】1970年(昭45) 新記録はイヤ!東条文博サヨナラ打!ヤクルト16連敗で止まる

[ 2010年8月1日 06:00 ]

 【ヤクルト2―1中日】打球がきれいにセンターに抜けると、一塁側ベンチから全選手が飛び出し、殊勲打を放った背番号38を取り囲んだ。延長13回、中日・伊藤久敏投手からヤクルトの1番東条文博遊撃手が放ったサヨナラ中前適時打。苦しみ抜いてつかみ取ったヤクルトの24日ぶりの勝利。長かった連敗はようやく16で止まった。

 負ければ日本新記録の17連敗になるところだった。「試合の流れから勝てるような気がしていた。一番ツキがあった東条に打順が回ったからね。これで別所(毅彦)さんも喜んでくれるだろう」と大喜びなのは小川善治監督代理。成績不振の責任をとって、別所監督が辞任したのは1週間前。2軍で指揮を執っていた小川監督が急きょ呼ばれ、4試合目での“初勝利”は、不名誉な記録を逃れる貴重な勝ちだった。
 カウント1―0から直球をセンターへ弾き返した東条は「とにかく食らい付いて行くことだけを考えた。打った瞬間?抜けろ、抜けろとだけ思っていた」。8年目の中堅選手もこれがプロ初のサヨナラヒット。1番打者として打率は2割4分5厘は決して合格点の数字ではなかったが、この試合に限って言えば勝利に大きく貢献した。
 4回の先制点も東条の犠飛で入った。ヤクルトにとってこれが10試合ぶりの先制点、対中日23イニング連続無得点の屈辱をストップする貴重な1本となった。加えて、サヨナラ打とくれば、まさに東条にとって最良の一日だった。
 63年に鹿児島実高から南海入りも66年にサンケイへ移籍。「足と守備はいけるが打撃は非力」というのが一般的な評価で、移籍後もレギュラー争いではアピールするものが弱かった。
 69年、突然変異のようにバッティングが良くなり、規定打席不足ながら88安打を放ち、打率3割2分をマーク。17盗塁の足も買われ、別所ヤクルトの切り込み隊長を任された。
 ただ、別所監督は東条の足を認めつつも、盗塁のサインはあまり出さなかった。東条は走りたい、走れると思ってもそれができず欲求不満状態にあった。ところが小川監督代理は、東条に「行ける時は行け」とお墨付きを与えた。勝率が3割にも満たないチームで、盗塁王のチャンスがあった東条に数少ない光を見出そうとしたのであった。
 連敗脱出時点でセ・リーグ4位の13盗塁だった東条だが、「いつでも行っていいと言われているので思い切り走ることができる」と小川監督代理が指揮を執った残り46試合で15盗塁を決め、計28盗塁に。タイトル争いをしていた巨人・高田繁外野手は24盗塁に終わり、球団としては1957年(昭32)の飯田徳治内野手以来13年ぶり3人目の盗塁王に輝いた。
 13年の現役生活で、日本シリーズもオールスター出場もない東条にとって盗塁王のタイトルはプロ野球界にその名を残す唯一の勲章といってもいい。大型連敗で別所監督が解任され、小川監督代理が就任しなければ出現しなかったタイトルホルダーだった。

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