日めくりプロ野球 8月

【8月22日】1986年(昭61) ユニホームに着替えたら本領発揮!ゲーリーお見事先制打

[ 2010年8月1日 06:00 ]

 【中日5―2ヤクルト】神宮球場の場内アナウンスは確か「背番号4」とその外国人助っ人のことをコールした。しかし、三塁側ベンチから出てきた左打者の番号は60番だった。
 中日の3番ゲーリー・レーシッチ右翼手はヤクルト18回戦に自分のユニホームを忘れてきてしまい大慌て。球団職員が名古屋から新幹線に乗って届けるまで、体格の似た宮下昌巳投手のそれを借りて試合に出場した。

 第1打席、尾花高夫投手のストレートに詰まらされ平凡な中飛に倒れた。「やっぱり何かヘンな感じだ」とつぶやいたゲーリー。人のを借りといてそんなことを言うのもどうかと思うが、しっくりこないものはこない。ベンチから出たり入ったり、外国人選手にしては繊細なタイプのゲーリーは球団職員が到着するのをいまかいまかと待ちわびた。
 3回の攻撃が始まった頃、待望の背番号4のユニホームが届いた。急いで着替えると、もう次の打席が回ってくる寸前だった。
 ゲーリーの“戦闘服”が届くと、中日打線はにわかに活気付いた。2死無走者から1番平野謙中堅手が中前打でチーム初安打を放つと、続く鈴木康友遊撃手が死球で出塁した。ここでゲーリーが登場。1打席目に打ち損じたストレートをとらえた当たりは、右翼手の頭上を越える二塁打。平野が生還し中日が先制点を挙げた。
 「着慣れたユニホームは最高だね。気分良く打席に入ることができると結果もいいものだ」と上機嫌。4番川又米利一塁手の左前打で果敢に本塁へ突っ込み3点目のホームを踏んだ。
 セントルイス・カージナルスから年棒5000万円の2年契約で来日。メジャー経験もあるが、3A暮らしが長かった左打者の獲得に踏み切らせたのは、カージナルス傘下のマイナー球団の監督をしていた元ロッテのジム・ラフィーバー内野手の「日本向きの選手。まじめで熱心に練習に取り組むタイプ」というお墨付きがあったからだった。
 確かにまじめな男だった。広島に在籍した実兄のデービット・レーシッチ投手のアドバイスをびっしりノートに書き込み、キャンプではさらにコーチ陣や同僚の話を加え、ホテルの自室で何度も熟読。日本で最高の打者は王貞治と張本勲と聞くと、打撃ファームの連続写真を取り寄せ穴が開くほど見て研究した。
 その甲斐あって来日1年目の86年5月に打率3割7分3厘、9本塁打、勝利打点6で月間MVPを獲得。歌手山本リンダの大ヒット曲「狙いうち」の応援テーマにのって快打を飛ばし、ファンのハートをわしづかみにした。
 2年目にはオールスターにも出場。日本球界を席巻した、ヤクルトのボブ・ホーナー内野手の代役ではあったが、この年は3割1分7厘の成績を残した。
 88年、中日のリーグ優勝を置き土産に退団。3年間で76本塁打を放ち、ファンに愛された外国人選手だった。
 

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