日めくりプロ野球 8月

【8月21日】1971年(昭46) 1回も持たないだろう…ところが…高橋善正、完全試合達成

[ 2010年8月1日 06:00 ]

 【東映4―0西鉄】ベテランに緩い変化球は禁物。となれば、初球はインコースへ厳しくシュートしかない。東映・高橋善正投手は代打の17年目のベテラン、西鉄・和田博実捕手への1球目にウイニングショットから入る選択をした。
 和田もヤマを張っていた。「初球はシュートが来る」。バットを若干短く持ち、食い込んでくる球に対応しようとした。

 高橋が投げ、和田が打った初球。高橋の渾身の1球に和田のバットは押され力のない左飛。張本勲左翼手が落下点に入った。いつものシングルハンドキャッチではなく、拝むようにして大事そうに平凡なフライをつかんだ。
 後楽園球場は一瞬の静寂から一気に1万3000人の観衆の歓声に包まれた。東映―西鉄のダブルヘッダー第2試合(19回戦)で、プロ野球史上12人目の完全試合が達成された。
 投球数86球、奪三振はわずかに1ながら内野ゴロは15、内野飛球7、外野飛球4できっちり27アウトを取った。「ブルペンで投げている時から真っ直ぐが走らなくて、シュートも決まらず調子が悪かった。こりゃ、1回持たんわと思ってマウンドに行った」と高橋はまさかの大記録に目を白黒。「こんなことってあるんだなあ。自分ひとりの力でできたことではないのは確か。みんなに感謝したい」といつもは強気な“ゼンちゃん”が完ぺきな内容の投球になのに低姿勢だったのがおかしかった。
 調子が悪いといっても先発投手の即KOは許されない。走らないストレートとシュートを見せ球にして、いつもよりカーブとスライダーの割合を多くして調整。「高橋はシュート投手」というイメージで打席に立つ西鉄の打者はいつもと違う投球パターンに戸惑い、終盤には無安打という焦りから早打ちで高橋を助けてしまった。
 「5回ごろから周りがザワザワしだしたんで、ヒットを打たれていないんだなと…。でも、いつか打たれるだろうとあまり気にしなかった。意識しだしたのは8回ごろから。えらいことになったと思って…」。
 そして9回。和田の左飛にたどり着くまでヒヤヒヤの連続だった。第1試合で決勝の3点本塁打を放った先頭の7番米山哲夫三塁手の打球はセンター前にライナーで抜けようかという当たり。完全試合ならず、と高橋があきらめた瞬間、大下剛史二塁手が横っ飛びでキャッチ。超が付くファインプレーに大下は「一生に一度経験できるかどうかのパーフェクト。中途半端に行くくらいなら、飛び込んでしまえと思って突っ込んだ」とイチかバチかのプレーに興奮した。
 続く村上公康捕手は一転してボテボテの三塁へのゴロ。守備固めに入っていた中原勝利三塁手が猛ダッシュで前進し、矢のような送球で間一髪アウトに。「飛んでくるなって思っていたけど、来たらもう無我夢中。余裕でアウトにできる打球より良かったかも」と中原。2つの美技が続き、パーフェクトゲームにつながった。
 中央大のエースとしてドラフト1位で入団した高橋。ルーキーの67年に15勝をマークし新人王。翌年も13勝したが、3年目の開幕直後、ランニング中に転倒し腰を強打。そのころから右ひじも悲鳴を上げ、69年3勝、70年2勝と成績は急落。71年も6月中旬まで2軍暮らし。完全試合まで3勝6敗と振るわなかった。その後も3勝5敗とふるわずシーズン7勝11敗。完全試合で何かをつかんだ、というわけではなかったようで、73年には巨人へ移籍。77年で現役を退き、巨人、中日などで投手コーチを歴任。08年から母校中大の監督を務めている。

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