日めくりプロ野球 8月

【8月18日】2000年(平14) ついに規定打席!金城龍彦 松井秀喜の3冠阻止する首位打者

[ 2010年8月1日 06:00 ]

【横浜3―2阪神】待ちに待ったその瞬間は、ストレートの四球。とても静かなものだった。横浜の2年目、金城龍彦三塁手(当時)が阪神19回戦(横浜)での8回、トータル300打席に到達し、規定打席数に到達。晴れて打撃成績に名を連ねることになった。
 この日は延長10回の5打席目に右前打を放ち、3打数1安打1犠打。注目の打率は3割8分4厘となり、“初登場”でいきなり1位、つまり首位打者の位置に立った。

 「規定打席到達?ええ、まあ…。首位打者?自分の力じゃないです。うまくいき過ぎて逆に怖いです」と金城。1年前までファームでスイッチヒッターに取り組み、左打席で30打席近くヒットの出なかった選手が安打を量産し、並みいる強打者を尻目に頂上に君臨したことを怖いと思ってもそれはいたしかたない。それくらい奇跡的な数字だった。
 金城の下にいるのは、前年リーグ首位打者の横浜ボビー・ローズ内野手が3割4分5厘で2位、巨人・松井秀喜外野手が3割3分5厘で3位という面々。松井は打点、本塁打ともトップを走っており、1分差ならローズとのバットマンレースも大変面白かったが、金城との差は5分。これを埋めることは容易ではなかった。
 彗星のごとく現れたシンデレラボーイはもともと評判の豪速球投手だった。大阪・近大付高時代から150キロのストレートを投げ、社会人の住友金属でも投手として活躍。プロ側からも積極的なアプローチがあった。
 「中継ぎなら即戦力。貴重なリリーフ投手になる」というのが、プロ側の評価。が、本人は投手としての限界を感じていた。「背が高くないしスタミナもない」。そんな時、金城の身体能力の高さに目をつけた横浜・宮本好宣スカウトは野手としての金城の可能性を見出し、金城側にも打診。1度テストをうけさせた。
 99年にドラフト5位で指名。だが入団から1度もブルペンに入ることはなく、ひたすらバットを振った。社会人時代はDH制でまともに打撃をしたことがなかったのだ。さらに首脳陣は金城に注文を付けた。当時の田代富雄2軍打撃コーチらはスイッチヒッターになることを進言した。どうせ打者になるのなら足もあることだし、それを生かさない手はないという考えだった。
 「左打ちをさせてはみたが、これは時間がかかると思った。しかし、吸収力が速かった。打ち方は不細工でバタバタしているように見えるがそれは個性。積極的に食らい付いていくタイプだけに成長も速い」と田代コーチは絶賛。2年目の00年4月12日、石井琢朗内野手が足の故障で2軍調整となると、ファームからイチ押しで昇格。上がってから4日目の4月16日、巨人戦の9回に守護神を務めていた槙原寛巳投手から右翼席へプロ初本塁打を記録。この一発が始まりとなり、負け試合の代打から切り札となり、スタメンで試合出場するようになるまで時間はかからなかった。
 以後3安打、4安打の猛打賞も珍しくなくなり、一時は打率4割台で推移。最終的に3割4分6厘で本塁打、打点2冠王の松井秀の3冠王を阻止。巨人・高橋尚成投手に163票の大差をつけ2年目ながら新人王に選ばれた。首位打者と新人王の受賞は球界初の栄誉だった。
 あれから10年。金城も山あり谷ありで、全く自分の打撃ができないこともあったが、3割も計4回記録し、外野に転向してからゴールデングラブも2回受賞。最近では代打の起用が増えているが、まだひと振りにかける野球人生には早すぎる。かつての輝きを取り戻したいところだ。
 

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