日めくりプロ野球 8月

【8月17日】1985年(昭60) 肝心なときに…中田良弘 4年越しの連勝記録止まった

[ 2010年8月1日 06:00 ]

 【広島9―4阪神】大切な試合だからこそ、その強運を買って任せたが、肝心な時に運が尽きた。
 広島市民球場での首位攻防戦、広島―阪神18回戦で阪神は先発に右腕、中田良弘投手を立てた。シーズンここまで負けなしの9勝0敗。それどころか81年から4年越しでなんと18連勝中。巨人に3タテを食らい、意気消沈しての広島遠征。俗に“死のロード”といわれる日程の真っ最中で中田が連敗ストッパーとなるはずだった。

 ところが2回で2本塁打を浴びるなど早くも4失点でKO。「いつまでも勝ち続けられるわけじゃない。こんな時もありますよ。ただ、チームには申し訳ないことをした」と中田。先発が試合を作れなかったため、2番手以降の投手も乱調。4投手で13安打を浴び9失点では、看板の打線も追撃し切れなかった。
 中田の連勝記録も止まり、広島に首位の座を明け渡して陥落した阪神。さらに悲しい出来事がチームを襲った。8月12日、群馬・御巣鷹山に墜落した日航機に阪神の中埜球団社長が搭乗、試合前日の16日に遺体が確認された。
 試合前、吉田義男監督は選手を招集しミーティングを開き、1分間の黙とうの後、口を開いた。「社長を弔うためには、優勝を目指して勝ち続けるしかない」。これまで優勝の2文字を言葉にしなかった指揮官が初めてチームとして究極の目標をはっきりと宣言した。それだけこの試合にかける思いが、吉田監督は強かった。
 首位から滑り落ちた阪神だったが、強運の中田が負けたことにより「運やツキ任せではない、本当の意味での実力でしかペナントレースは勝ち抜けない」という意識がナインの間に広まった。
 幸運も手伝って連勝記録を続けてきた中田もこれで吹っ切れた。8月28日、甲子園での広島21回戦で市民球場での屈辱を晴らすプロ初完封勝利。9連勝後も3勝を積み重ね、阪神の21年ぶり優勝に貢献。亡き球団社長の霊前にペナント奪取の報告をすることができた。
 4年越しの18連勝を記録した中田だが、投げれば勝つというわけではなかった。80年のドラフト会議で阪神に1位指名され、日産自動車から阪神入り。ルーキーイヤーの81年7月中旬まで2勝5敗と決していい星勘定ではなかった。81年7月22日、甲子園での広島戦で代打・川藤幸三外野手のサヨナラ二塁打で勝ち星が転がり込んだのが連勝の始まり。さらに3勝を加え、計4連勝で1年目を終えた。
 ここからが試練の連続。2年目はわずか1試合登板で1勝、3年目は1つも勝てなかった。右肩痛で思うようにボールが投げられず、ファームでの登板もままならなかった。84年に30試合で4勝をマークし、復活の兆しが見えると、安藤統夫監督に代わって2度目の監督に就任した吉田は中田を先発ローテーションに入れて使い続け、85年に連勝記録の半分の9勝を記録した。
 14年間の現役生活で通算33勝。数字以上にタイガースファンにとって印象に残る右腕だった。

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