日めくりプロ野球 8月

【8月7日】1980年(昭55) スイッチヒッター初 ケンカで転向した柴田勲 2000安打達成

[ 2010年8月1日 06:00 ]

 【ヤクルト10―1巨人】フラフラっと上がったフライをヤクルト・若松勉左翼手は無理に突っ込んで捕球しようとはしなかった。4回で8点リード。相手に花を持たせるだけの気持ちに余裕があった。
 外野の芝生にポトリと落ちたポテンヒット。プロ19年目、巨人・柴田勲外野手がヤクルト・酒井圭一投手から通算2000安打を達成した瞬間だった。

 「プロで最初のヒットが確か内野安打。そして節目がこれでしょ。ポテンヒットなんて僕らしいよね」。プロ野球13人目、巨人では川上、長嶋、王に続いて4人目となる大台に背番号7は照れ笑い。「あっさり決めたかったんだけど…。長かったね」。
 あと1本になってから5試合18打席を要した。周りが気を使ってくれているのがつらかった。明らかにバントのケースでもサインが出ず、ヒッティング。優勝戦線から取り残され、5割付近を行ったり来たりの巨人。個人記録に付き合っている場合ではなかったが、柴田はV9巨人を支えた功労者。長嶋監督は6番でベテランをスタメンで使い続けた。
 スイッチヒッターとして初の2000安打だった。神奈川・法政二高で甲子園夏春連覇の優勝投手は鳴り物入りで巨人入り。開幕2試合目の先発まで任されたが、ルーキーイヤーは勝ち星なしに終わった。
 1年目のオフ、投球フォームがおとなしい柴田に当時の中尾碩志投手コーチはモデルチェンジを要求したが、弱冠19歳の柴田はこれを拒否。ならばと川上監督の勧めで打者に転向した。
 フィルディングの良さを買われて、最初は遊撃手に。その後バッティングと足の速さを生かすために外野の練習を始めた。野球センス抜群の男は、先輩方を差し置いて頭角を現し、2年目でレギュラーを獲得。盗塁数はいきなり43個を数えた。
 トレードマークは赤い手袋、夜の帝王、数々の恋のうわさ…ONには及ばないものの、巨人のスター選手となった柴田は何よりも一生懸命やっていると思われるのが嫌いだった。
 あくまでスマートに、さりげなく巨人のトップバッターの役目を務めることを望んだ。盗塁王、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)の常連も、打率は72年の2割9分3厘が最高で、3割は1度もなかった。そんな柴田に現役時代の長嶋は「野球の鬼になりきれていない」と、物足りなさを感じていたこともあった。
 現役を引退した後、柴田は「内臓が弱く、ハードに練習しようと思ってもできなかった」話しているが、ここぞの時はスター選手のプライドを見せた。76年(昭51)オフ、日本一を逃した長嶋巨人に柴田のトレード話が浮上した。72年の盗塁王を最後に自慢の足は鳴りを潜め盗塁数が減り、衰えが目立ちはじめたことでチームは“売れるうちに”他球団へと考えた。
 トレードは幻に終わったが、巨人の柴田ここにあり、を証明するため、77、78年に2年連続34盗塁ずつ走りタイトルを5年ぶりに奪取。その気になった時の非凡な才能をあらためて示した。
 通算右打席で2割7分1厘、後でマスターした左打席で2割6分9厘。数字から見ても本当に器用な選手だということがよく分かる。日本人のスイッチヒッターで2000安打を放ったのは、日米通合計で記録した元西武・松井稼頭央内野手以外まだだれもいない。

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