日めくりプロ野球 8月

【8月6日】1964年(昭39) 俺が信じられないのか!長嶋茂雄、広岡達朗の打席で本盗敢行

[ 2010年8月1日 06:00 ]

 【国鉄2―0巨人】絶対にイケる、という確信はなかった。ただ、7回にして初めて三塁まで進んだだけに、どうしてもここで1点差にしておきたいという気持ちが先走った。背番号3、巨人・長嶋茂雄三塁手が思い切ってスタートを切ったのは4球目だった。
 マウンド上の金田正一投手は長嶋の動きにすぐに気がついた。すぐに平岩嗣朗捕手に送球、平岩が足から猛然とスライディングする長嶋に覆いかぶさるようにタッチした。

 砂塵が舞い上がったホームベース上。タイミングは微妙だった。富沢宏哉球審の右腕が上がった。「アウト!」。長嶋が血相を変えて詰め寄った。「ノータッチだ。アンパイア!」。富沢球審は首を横に振り、長嶋の抗議を受け付けなかった。長嶋はエキサイトした。両腕で富沢球審を突き飛ばし、なおも厳しい口調で「タッチしてない!」とかみついた。
 審判に手を出したのだから退場を宣告されてもおかしくない場面だが、富沢球審はアウトであることを繰り返し、長嶋の前に仁王立ち。腰に手をやりあきらめきれないといった表情で首をひねる長嶋だったが、ベンチから川上哲治監督ら巨人首脳陣が“加勢”するわけでもなく、渋々引っ込むしかなかった。
 この一連のプレーにはらわたが煮えくり返る思いをしていた巨人の選手がいた。打席に入っていた、5番広岡達朗遊撃手だった。長嶋のホームスチール、実はベンチからのサインではなく、長嶋の単独だった。
 口にこそ出さないが「広岡の打撃じゃ、金田からヒットはおろか犠牲フライも期待できない」といわんばかりのスチール。広岡は露骨に不快な表情で、長嶋の猛抗議を見ていた。
 もちろん、長嶋にはそんな気持ちなど毛頭なかっただろう。単純に散発3安打無得点と沈黙しているチームに活を入れ、金田攻略の糸口を見つけ出そうと仕掛けたプレーにほかならなかった。
 しかし、広岡はナーバスにならざるを得なかった。この時、打率は2割1分6厘と低迷。5番を打っているとはいえ、ONの後を打つ選手としては迫力に欠け、そのことを広岡も人一倍気にしていた。
 加えて、このころ広岡トレード説がまことしやかにささやかれていた。巨人は超高校級内野手として、埼玉・上尾高の山崎裕之遊撃手(65年、東京オリオンズ入団。西武で通算2000安打達成)の獲得に本腰を入れ、他球団とのし烈な競争を演じていた。
 「巨人のショートは広岡さん。あんな素晴らしい選手がいたのではウチの息子はレギュラーになれない」と心配する山崎の父に巨人のスカウトが「広岡はトレードで来年は巨人にいない」と話した、という噂がマスコミを伝わって広岡の耳にも入っていた。
 巨人で11年レギュラーを張ってきた男が、高卒ルーキーのためになぜ追い出されなければいけないんだ。根拠のない噂話にしても、広岡の心中は穏やかではなかった。
 長嶋の単独スチールに対し、川上監督は試合後「結果的にはアウトになったが、アイディアとしては悪くない」と述べた。本来なら自分勝手な走塁で好機をつぶしたことで罰金のはずが、長嶋をかばっているともとれる表現。対する広岡については何もコメントはなかった。
 後に川上と広岡の関係が悪化した決定的なシーンとして取り上げられた長嶋のホームスチール事件。紆余曲折を経て広岡は翌65年オフに巨人を去り、2度とジャイアンツのユニホームに袖を通すことはなかった。

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