日めくりプロ野球 8月

【8月2日】1989年(平元) 救われた男・津末英明 親友のお膳立てに応えた逆転アーチ

[ 2010年8月1日 06:00 ]

 【巨人5―4ヤクルト】打った瞬間、両腕を上げてガッツポーズをつくった。入った、と確信したからだった。それでも一瞬、不安が頭の中をよぎった。「だってライトが捕りそうなフリをするんだもん。あれで入らなかったら大笑いされちゃうよ」。
 そんな不安もすぐになくなった。ライトスタンドに飛び込む3点逆転本塁打。巨人・津末英明内野手はあらためて右腕を高々と上げた。

 今季2号は東京ドーム初本塁打。「満員のお客さんの前で逆転ホームラン、一番興奮したし、自分でも感動するね。う~ん、結婚以来の感動かな」。過去41本の本塁打を打ってきた背番号37だが、格別の一発に表情を崩れっぱなしだった。
 「監督、勝負をかけましょう。調子はいいです」。松原誠打撃コーチは藤田元司監督に進言した。7回2死一、二塁で2点ビハインド。ヤクルトが好投の左腕加藤博人投手から右の宮本賢治投手に交代。指揮官は小林毅二球審に6番井上真二右翼手に代わるピンチヒッターを告げた。
 チャンスをふくらませたのは親友だった。2死二塁で5番駒田徳広一塁手の代打に起用されたのは、津末とは神奈川・東海大相模高、東海大で同級生だった原辰徳内野手。けが上がりの原が粘って四球を選び出塁、一打逆転のお膳立てをしてから代走の勝呂博憲内野手と交代した。
 親友がつくってくれた好機をつぶすわけにはいかなかった。88年オフ、日本ハムを自由契約になる寸前、情報をキャッチした巨人は親友の原を通して津末に連絡。現役続行の意志があることを確認し、原からの報告で藤田監督が日本ハムに獲得を打診した。結果的には金銭トレードという形で巨人に入団。原、そして藤田監督によって選手寿命を伸ばすことができた。
 開幕1軍も10打席ノーヒット。「藤田監督に恩返しをしたいという気持ちが強すぎたんじゃないか」。原は親友の心情を察した。ファームで再調整後の1軍。そして練習での調子の良さがそのまま逆転弾となって試合に出た形となった。巨人は6月16日の中日戦から東京ドーム10連勝、対ヤクルト通算600勝となった。
 津末にとってこれが現役最後の本塁打となった。89年に代打で活躍したが、90年は夏場まで18打席で無安打。チームは若返りを図るべく、津末とベテランの蓑田浩二外野手にシーズン中としては異例の引退を勧めた。蓑田は1軍守備・走塁コーチに、津末は今でいう育成コーチ、当時の3軍打撃コーチポストが与えられた。
 その後、スカウトを経て02年に原が監督に就任すると、監督専属の広報担当に。人前では敬語、それ以外は高校・大学の同級生として本音で接し、名将を後から支え続けている。

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