日めくりプロ野球 8月

【8月1日】1971年(昭46) わずか9日!大沢啓二監督の新生ロッテ 奇跡のゲーム差ゼロ

[ 2010年8月1日 06:00 ]

阪急を倒し、ゲーム差なしの8厘差に迫った大沢監督は選手を満面の笑みで出迎える
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 【ロッテ7―6阪急】勢いとは恐ろしい。つい9日前まで首位阪急に8ゲーム差をつけられ、独走を許していた2位ロッテが敵地西宮での試合に1点差で逃げ切ると、ゲーム差なしのわずか8厘差に詰め寄った。
 小山正明投手を連投させて逃げ切った、ロッテ・大沢啓二監督は笑いが止まらない。帽子を取って最敬礼しながら、見事な火消しを果たしたベテランを出迎えた。

 「オレは2軍監督をやっている時よりも今のほうが気楽だな。バカなのか、のんびり屋なのか分からんが、ジタバタしてもしょうがねぇだろ。当たって砕けろだ。でも、西本(幸雄・阪急監督)さん、シビれてるだろな。立教大学の先輩だから、オレも尊敬しているが、勝負だから仕方ねぇやなあ」。
 上機嫌の大沢監督の舌は滑らかで止まる気配がなかった。10試合で9勝1敗。阪急のまさかの急ブレーキによる8連敗があったとはいえ、直接対決でも4連勝。8月3日にもシーズン初の首位という位置に付けている立場で、はしゃぐなという方が無理だった。
 まさに青天の霹靂(へきれき)だった。球宴明け2試合目の7月23日、東京球場での阪急戦の試合中に大沢は中村長芳オーナーに「至急球場に来るように」と呼ばれた。事情が飲み込めないまま駆けつけると、オーナーは開口一番に言った。「あしたから大沢君が1軍の指揮を執るように」。
 大沢は当時2軍監督だった。1軍の濃人渉監督は前年の70年にチームを60年の大毎以来、10年ぶりにリーグ優勝させ、ここまで阪急に引き離されているとはいえ2位。シーズン中に交代させるような成績ではなかった。
 しかし、伏線はシーズン前からあった。リーグ優勝したものの、巨人との日本シリーズはいいところがなく、1勝4敗で惨敗。積極的に攻撃を仕掛けず、主力選手の一発頼みで“動かない”采配に疑問の声はシーズン中から上がっており、濃人監督更迭論はチーム内に根強くあった。それでも「優勝監督を辞めさせるのは世間的にも良くない」という判断で見送られた経緯があった。
 球宴後の巻き返しに期待したフロントだが、フタを開ければ阪急に2試合とも2ケタ得点を許し大敗。濃人解任を1度は思いとどまった中村オーナーだが、ぶざまな敗戦でついに決断した。
 2軍監督として1軍とともにイースタンリーグで優勝を飾った大沢監督は濃人監督とは違い仕掛ける指揮官だった。エンドラン、盗塁、打線の積極的な組み替え…。当時まだ39歳、青年監督は自らコーチボックスに仁王立ちし、選手を鼓舞した。
 直後の8月4日、中村オーナーは大沢監督と球界初の5年という長期契約を結んだ。71年は阪急を追い詰めながら、3・5差で2位に終わったものの、大沢監督は長期的ビジョンでチーム改革を行うことを決め、トレードを活発に行った。
 が、72年は5位に転落。加えて、中村オーナーが西鉄から太平洋クラブに変わったライオンズの経営に乗り出すことになり、ロッテを去ると、新フロントは人気と知名度のある金田正一の招へいを画策、大沢は契約を反故にされ解任されてしまった。本人には直接通達されず、最初に報道で解任を知ったという“新聞人事”だった。
 「解任された監督の後にその席に座ったオレがまた同じ運命になるとはなあ」と嘆いた大沢。かつての名将・三原脩日本ハム球団社長にかわれて、ファイターズの監督になるのはその3年後のことだった。

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