日めくりプロ野球 8月

【8月21日】1990年(平2) プロ22年生大島康徳 最長2290試合目の2000本安打

[ 2009年8月1日 06:00 ]

 【日本ハム5-0オリックス】日本ハム・田中幸雄遊撃手の15号2点本塁打が飛び出し、5点差がついて試合の行方がほぼ決まった直後だった。6回2死、田中より17歳も年上の大ベテランがオリックス・佐藤義則投手からセンターへライナーのヒットを放った。
 プロ22年目、日本ハムの大島康徳一塁手がついに通算2000本安打を達成した。39歳10カ月での到達は史上最高齢(当時)。実に2290試合、8312打席目での金字塔だった。

 敵地西宮球場でその偉業を称えるファイターズファンは数えるほどだったが、場内アナウンスと電光掲示板に表示されたメッセージでそれを知ったオリックスファンも惜しみない拍手を送った。
 「僕以外の24人の方はみんなスーパースターばっかり。こんなところに座っていいものかどうか…」。試合終了後、打者なら2000本安打以上、投手なら200勝以上で昭和生まれの選手が入会を許される名球会の参加資格を得た大島は、“証明書”代わりのブレザーを通算350勝の阪急・米田哲也元投手から贈呈されると、ちょっと困ったような笑みを浮かべた。
 1968年(昭43)、中日にドラフト3位で入団。2年目まで2軍暮らしが続いたが、2000本の大台にたどりついた選手の中でようやく3年目に初安打を記録した選手はそれまで皆無だった。だから大島が戸惑ったのも無理はなかった。代打稼業が長く、完全にレギュラーとして定着したのは入団9年目。これだけ遅咲きの選手が大輪の花を咲かせたことは奇跡に等しかった。
 日本ハム・近藤貞雄監督の親心が生んだ記録でもあった。8月15日、ロッテ19回戦(東京ドーム)で2安打を放ち、残り2本になったが、そこから13打席無安打。札幌、盛岡、福島と遠征に“帯同”して記念すべき瞬間をこの目に焼き付けようとした夫人は「自分が見に行くから打てないのでは」と自責の念にかられた。
 「意識してないよ」と周囲に話す大島だったが、内心はかなりのプレッシャーに押しつぶされそうだった。そこで近藤監督はこのオリックス戦で1番に起用。少しでも打席が回ってくるのと同時に「何も考えずに思い切り振ってこい」という気分転換の意味もあった。2打席目に1999本目を放つと、遊ゴロの後の4打席目に見事監督の配慮に応えた1本を放った。
 中学時代はバレーボールのアタッカーで大分選抜にも選ばれた逸材。相撲部に借り出され、近県での大会で優勝したこともあった。野球にスカウトしたのは中津工高の小林昭正監督。天性の体のバネにほれこみ、野球をやるよう口説き落とすとすぐに4番・投手として図抜けた活躍をした。
 シーズン最多代打本塁打7本を放った76年が大きなステップとなり、80年には交通事故で失明の危機を乗り越えながら、83年に本塁打王のタイトルを獲得。中日の看板選手となったが、兄貴と慕っていた星野仙一監督の就任後にチーム若返りの方針で日本ハムへ。4番不在だったファイターズで大島は、再度主力として活躍。選手寿命が延び、2000本安打への道を拓いた。捨てられたと落ち込んでいた選手が、新天地で花が開いた。記録達成の恩人は実は放出した星野監督と言っても過言ではないようだ。
 
 

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