日めくりプロ野球 8月

【8月16日】1954年(昭29) イダ天・木塚忠助 今でも記録の1カ月ランニング本塁打2本

[ 2009年8月1日 06:00 ]

数々の伝説を残した名手・木塚。当時としては大きめのグラブは米国製で本人いわく「ヤミ市で買ってきた」とか。盗塁王4回の裏には軽いスパイクへのこだわりもあった
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 【南海5-4西鉄】南海・鶴岡一人監督流に言うなら、守備と肩だけでなく足でゼニを稼げる選手だった。
 平和台球場での西鉄-南海19回戦の6回、南海の2番木塚忠助遊撃手は西鉄2番手の大津守投手から会心の一打を放った。弾道の低いライナーが高倉照幸中堅手を襲うと、打球は懸命に前身して差し出した高倉のグラブをすり抜けた。
 その瞬間にはもう二塁に向かっていた木塚。ギアがトップに入ると、“イダ天”と呼ばれた俊足を飛ばし、一気に三塁を回って生還。3-3の均衡を破る勝ち越しのランニングホームランとなった。

 木塚の本塁打はシーズン6本目。実は同じ8月に木塚はもう1本ランニング本塁打を放っており、これで1カ月2本のホームランはすべて足で稼いだものとなった。
 盗塁王4回、ベストナイン7回など数々の表彰歴があるホークス黄金時代の名選手だが、月間2本のランニング本塁打は2009年時点でも破られていない記録。木塚は生涯本塁打42本でユニホームを脱いだが、計5本のランニングホームランは、中日・杉山悟外野手と並びトップタイ。杉山の本塁打は209本で、41・8本に1本のランニング本塁打だが、木塚のそれは8・4本に1本という確率。木塚が打席に入ると、熱心な南海ファンはバットの快音と木塚の全力疾走が楽しめるランニングホームランをひそかに期待したものであった。
 “100万ドルの内野陣”と称された南海伝説の遊撃手である。三塁手がトンネルした打球をカバーした上に一塁でアウトにした、三遊間の深いゴロを捕球し、送球したら大暴投で観客席まで入ったとか、今となっては確認のしようもない話だが、強肩であったことは間違いなかった。
 ただ、名手といわれた一方で1試合6失策の記録も保持。木塚のプレーを生で見た同僚選手が口をそろえるのは「逆シングルでキャッチした三遊間の打球の処理は最高だった。深い位置から捕球して矢のような送球でアウトにした。華のある選手だった」。この年まだ高校出たての“カベ”(ブルペン捕手)扱いだった、野村克也捕手が「今まで見てきたショートの中で右に出る者はいない」と高く評価している。
 「男は個性が大事」という職人肌だが、決して気難しい人柄ではなかった。しかし、上に対して媚を売るような選手でもなかった。南海で10年選手となりボーナスが出る直前の9年目のオフに近鉄に放出され、引退後は近鉄と東京(現ロッテ)でコーチを歴任したが、個性を重視した男は選手から好かれても、監督からウケは決してよくなかった。
 69年の東京コーチを最後にプロ野球界とは一線を画し、大阪でレストランを経営。南海がダイエーに身売りする前年の87年12月16日に死去。まだ63歳の若さだった。

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