日めくりプロ野球 8月

【8月15日】1965年(昭40) 満塁でも“故意四球” スペンサー、8打席連続四球

[ 2009年8月1日 06:00 ]

試合前、野村に話しかけるスペンサー。よほどノムさんのことが印象に深かったらしく、帰国後も日本の話が出ると「ノムラは元気か」と聞いていたという
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 【東京7-1阪急】バットを逆さに持ったり、持つどころかバットなしで打席に立ったりと抵抗を続けてきた元大リーガーが、ついに怒りのフルスイングで抗議した。
 本塁打王争いで南海・野村克也捕手に5本リードの阪急・ダリル・スペンサー二塁手は、東京(現ロッテ)19回戦(東京)の3回、2死満塁の好機に四球で一塁に歩かされようとしていた。押し出しで先制の1点が入るケースで、捕手は座っていたとはいえ敬遠と同じ故意四球。露骨な四球は前日14日の東京17回戦から8打席続いていた。

 「なぜ日本の投手は勝負してこない。優勝がかかっている場面でも何でもないんだぞ。そんなにガイジンが嫌いか!そんなにガイジンのオレがノムラよりホームランを多く打つのが気にくわないのか!」。スペンサーは大声でわめいた。さすがに東京ファンからも「それでもプロか。勝負しろ!」とブーイングの嵐が起こった。カウント0-3から、東京バッテリーもしぶしぶ勝負をせざるをえなかった。
 東京・牧勝彦投手の4球目は内角へストライク。5球目は外角の高め。見送れば完全なボールだが、いきり立っているスペンサーのバットは止まらなかった。強振したものの空振り。これで2-3。怒り心頭で真っ赤な顔をしていたスペンサーだが、今度は子供のように嬉々としていた。「ようやく勝負できる。さあ、来い」。
 フルカウントからの6球目はストレート。少々のボール球なら打つつもりだったが、牧の直球は、頭に当たりそうなほど大きく外れるボール。これではさすがにバットを出せなかった。押し出しの1点となったが、一塁に歩くスペンサーの表情はバットを振ったことで納得した穏やかな表情をしていたが、結果は四球だったことに無念さは隠せなかった。
 “ドクター・ベースボール”と呼ばれるほど尊敬された、元メジャーリーガー・スペンサーの野球に対する意識の高さ、豊富な知識は当時まだ発展途上だった日本プロ野球に衝撃を与えたが、一方でえげつないスライディング、横柄ともとられても仕方のない尊大な態度は他球団から好かれていなかった。スペンサーにタイトルを獲らせるくらいなら、野村にという空気がリーグ全体に漂っていた。それが優勝争いをしているわけでもないのに、8連続四球につながったのだった。
 6回、3打席目。これ以上ファン無視の四球漬けはできないとみた東京はスペンサーとまともに勝負してきた。燃えたスペンサーの打球は左翼へ高々と舞い上がった。
 背走するパリス左翼手。塀際でジャンプ一番、なんとか捕球した。大飛球を捕られたスペンサーは残念そうにしばらく腰に手を当てて左翼の方向を見ていたが、久々に感じたバットに白球が当たった感触に、そのこわもてに笑みが浮かんでいた。
 スペンサー、野村の本塁打王争いは10月までもつれこんだ。スペンサーは8連続四球の影響は大きく、8月11日から9月25日までの46試合で1本しか本塁打が打てず、野村に4本差をつけられる2位となっていた。
 2本差まで迫った10月5日、事件は起きた。西宮での西鉄戦の試合当日、バイクにまたがり最寄り駅に向かっていたが途中で軽自動車と衝突。路上に投げ出され、右足を骨折。全治2カ月と診断された。残り11試合、逆転も可能だっただけに悔やみきれない事故だった。
 野村は42本塁打でホームランキングに輝き、打率3割2分、打点110とともに戦後初の三冠王に輝いた。スペンサーは7年の日本でのキャリアの中でこの年の38本塁打が最高。最大のチャンスを逃した。

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