日めくりプロ野球 8月

【8月10日】2003年(平15) “キレる”守護神ギャラード 初の1シーズン2球団セーブ

[ 2009年8月1日 06:00 ]

最後の打者井端を二ゴロに打ち取り右腕で軽くガッツポーズを作ったギャラード。横浜では8セーブをマークし、中日時代と合わせて計120セーブを記録した
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 【横浜2-1中日】その男はまさに興奮していた。13球中11球が150キロ前後のストレートだったのは、エディ・ギャラード投手。中日の抑えとして4月に史上最速の100セーブを達成した右腕は、8月になると今度は横浜でこれも史上初の1シーズン2球団でのセーブを古巣相手にマークした。

 「三塁側のベンチに座っているのはみんな友達ばかり。できれば投げたくなかったが、これも仕事だから」。代打の渡辺博幸内野手、1番大西崇之左翼手を連続三振、2番井端弘和遊撃手はバットに当てるのが精いっぱいの二ゴロ。1点差の厳しい場面をきっちり抑えた横浜の新守護神もほえて興奮していたが、抑え不在で泣かされ続けてきた横浜・山下大輔監督も「頼もしかったよ。きょうは横浜にとって新しい(勝利の)形が出来上がった日だ」と満面の笑みがこぼれた。
 全く予測もしないシーズン中の移籍だった。6月、練習中に右手中指を打撲したギャラードは1度登録を抹消された後に復帰することになったが、中日・山田久志監督は「とりあえず中継ぎで試運転してからストッパーに戻す計画」とギャラードにコーチを介して伝えた。ところが、ギャラードはこれを拒否。「オレはクローザーだ」とあくまで抑えにこだわった。
 ならばと2軍戦で登板して調整をしてからの昇格を提案。しかし、「契約で2軍では投げないことになっている」と主張。両者の溝は深まるばかりだった。
 ケガだけでなく、山田監督はキャラードの抑えに不安を抱いていた。00年から絶対的な守護神として活躍してきたが、03年は開幕から痛打を浴びるケースが目立ち、防御率は一時8点台に。ギャラードが戦列を離れた後は、大リーグ挑戦を条件に近鉄から中日に移籍していた大塚晶紀投手がセットアッパーからストッパーに転じていた。
 感情のもつれは修復不可能となり、7月に中日は自由契約にしてリリース。球威が衰え、ひじの状態も思わしくなかったことから“潮時”と判断してのウエーバー公示だった。
 これに飛びついたのが最下位にあえぐ横浜だった。開幕当初計画していた抑えのマット・ホワイトサイド投手は使いものにならず、すでに帰国。新人の加藤武治投手に締めを任せなければならない状態に、日本で実績のある守護神はすぐにでも欲しかった。
 あれだけ拒み続けていた2軍戦での登板だったが新天地では一転。ファームで1試合投げた後に1軍へ。この日1シーズン2球団でのセーブという珍記録が生まれた。
 デトロイト・タイガースを皮切りに、3球団を渡り歩いて日本へ。大リーグでは30試合2勝1セーブも3Aでは82セーブの実績があり、00年途中に入団もすぐストッパーとして星野仙一監督は起用した。
 三振にこだわり、中日時代は抑えても最後の打者にバットに当てられると、ベンチ裏では備品を蹴ったりするなど八つ当たりし、チームメイトも近寄れないほど。“キレる”守護神のプライドは高かった。
 そのため横浜の新守護神も翌04年に“元守護神”佐々木主浩投手がメジャーから復帰し、その座を追われると、投球にそのイライラが露骨に表れた。シーズン途中で右ひじ手術を米国で行うとして帰国。13試合に投げただけで2度と横浜に戻ってこなかった。
 その後マイナー契約で米球界に復帰するも、日本での輝かしかった実績はみられなかった。
 

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