日めくりプロ野球 8月

【8月11日】1976年(昭51) 王、長嶋もできなかった 有藤道世、入団から8年連続!

[ 2009年8月1日 06:00 ]

オリオンズの顔として活躍した有藤。背番号8は山内和弘が阪神にトレード以降空き番号になっていたが永田オーナーのツルの一声で新人に栄光の背番号が与えられた
Photo By スポニチ

 【ロッテ5-2近鉄】5連勝中の元祖甲子園アイドルを調子に乗らせる前にガツンと叩け。その役目を“ミスター・ロッテ”が難なくやり遂げた。
 夕暮れの日生球場。近鉄-ロッテ後期5回戦の1回表。1死一塁で打席に入ったロッテ・有藤道世三塁手は、近鉄・太田幸司投手の2球目、併殺狙いのシュートが高めに浮いたところを強引に引っ張った。夏空に舞い上がった打球は左翼ポール際に飛び、そのままスタンドへ。有藤の先制2点本塁打が飛び出した。

 今季20回目のベース1周。同時にルーキーイヤーの69年から8年連続の20本塁打を達成した。プロ野球初、ここまで700本以上のアーチを量産した巨人・王貞治一塁手も、スーパールーキーとしてプロ入りした長嶋茂雄三塁手でも達成できなかった夢の記録を背番号8は、8月中に成し遂げてしまった。
 「ホームランバッターでもない僕が…。王さんや長嶋さんも達成できなかった?それは偉いことをしてしもうた。自分で言うのもなんだけどすごいねぇ」。無骨な“土佐のいごっそう”は嬉しさを露骨に出すことはなく、テレながら大台到達を喜んだ。
 本人が言う通り、長距離砲ではなかった。8年連続20本塁打を含め、現役18年のうち11シーズン20本塁打以上を放ったが、72年と79年の29本塁打が最高で、1度も30本を打つことはなかった。
 連続20本塁打の記録が途切れたのは翌77年。5月に左肩脱きゅう、夏場は全身疲労によるしびれ、さらに左ひじを襲った死球など相次ぐアクシデントに飛距離が伸びず、16本塁打に終わった。皮肉にもバットマンとして初の打撃三部門のタイトルを獲得したのはこの年。阪急・島谷金二三塁手とデッドヒートを展開しての、打率3割2分9厘でのリーディングヒッターだった。
 この年も20本塁打を放っていれば、78年からも3年間大台をキープしてため、計11年となり、巨人・原辰徳三塁手が持つ新人時代から12年連続20本塁打に匹敵する記録として、21世紀にも語り継がれたに違いない。
 中日・星野仙一投手、阪神・田淵幸一捕手らと同じ、いわゆる“花の69年組”のプロ入り。内野手としては、亜大の大橋穣内野手、法大・富田勝と並んで近大の有藤が傑出していたが、大学通算8本塁打の有藤は、東都大学リーグ記録の20本塁打を記録した大橋と比べると打撃で見劣りし、守備も富田の方が評価が高かった。香川県出身で近鉄・三原脩監督などは「高知県出身の選手はプロでは大成しない」という独自論で初から相手にしなかった。
 それでもロッテは東京六大学の富田ではなく、関西の有藤を1位指名した。祖父はいたものの、母一人子一人で育ってきたの有藤の生い立ちに注目した永田雅一オーナーの「こういう選手はプロで必ずやる。苦労している男は違う」というひと言も指名に影響した。
 大橋、富田とも1軍選手として活躍したが、通算2000本安打まで達成したのは有藤のみ。引退直後にいきなり監督を引き受け、3年間思うような結果を出せずに身を引かざるを得なかったのが悔やまれる。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る