日めくりプロ野球 8月

【8月5日】1989年(平元) ヒジがうずきながら160球 5年目宮本和知、初完投勝利

[ 2009年8月1日 06:00 ]

5年目で初完投勝利の宮本。13年間での通算成績は66勝62敗4セーブだった
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 【巨人11-3大洋】ラストボールはチームメイトから教わったスライダーだった。大洋・銚子利夫三塁手を平凡な二ゴロに打ち取ると、巨人・宮本和知投手は、ようやくホッとした笑みを浮かべた。
 味方の19安打11点という大量援護に守られ、12安打を打たれながらも3失点に抑え大洋16回戦(横浜)に完投勝利。勝ち星は実に3年ぶり、完投となるとプロ5年目にして初めてのことだった。

 「最初から最後まで苦しかった。あと1人になった時、投げながら勝てなかった日々のことを思い出した」。いつもは明るくチーム一のひょうきん者も、言葉を選びながらのヒーローインタビューに唇は震えていた。
 斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄。巨人の誇る先発三本柱にとって、完投は全く珍しくなかったが、3人はいずれも右投手。左投手となると、89年のシーズンはここまで皆無。記録をさかのぼると、85年9月21日の広島21回戦(後楽園)でキース・カムストック投手がマークして以来、実に4年近くも絶えてなかった。日本人投手となると、さらに1年前の84年5月10日に、ヤクルト戦で橋本敬司投手が投げきってから実に5年も完投左腕がいなかった。
 雨の中、左ひじが鈍痛でうずきながら160球を投げた。新人だった85年に2勝も、86年1勝したきり勝てなかった。88年オフには左ひじの遊離軟骨除去手術のため渡米。前半戦は支配下登録選手を外され練習生扱い。投げていなくても「雨の日はひじが痛かった。降っていなくても、ひじが痛くなると必ず雨が降った。人間天気予報だよ」と自虐的に笑っていたが、正直なところ「もうマウンドには立てないんじゃないか…」という不安との戦いだった。
 そんな宮本に「復帰したら投げてみたら」と新球を教えてくれたのが、同じ25歳の槙原だった。教わったのはスライダー。槙原の決め球の1つだ。握りからリリースのコツまで「付きっきりで」(宮本)伝授してくれた。同じチームの現役投手同士。チームメイトでもあるが、ライバルでもある関係で珍しい交流だった。
 中村稔コーチからはシュートのアドバイスをもらった。中学まではサッカー部で、山口・下関工高2年の秋から投手というキャリアの浅い宮本は、社会人川崎製鉄水島時代も真っ直ぐとカーブしかまともに投げられず、ロサンゼルス五輪もそれだけで乗り切りプロ入りした。それが横の変化の球種をマスターしたことで、投球のバリエーションが飛躍的に増加した。
 初完投で今までの憑(つ)き物が取れたように、宮本は“幸運”を呼んだ。同年10月6日、同じく横浜スタジアムでの大洋戦でリーグ優勝の胴上げ投手。日本シリーズでも近鉄相手に3連敗の後4連勝した巨人は、リリーフ登板した宮本が胴上げのマウンドにいた。90年のリーグ優勝でも同じ役目となり、長い巨人軍の栄光の歴史で唯一の3連続胴上げ投手の栄誉に恵まれた。
 97年、交通事故の後遺症で引退。軽快なトークでテレビタレントとして活躍している。

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