日めくりプロ野球 8月

【8月3日】1997年(平9) よみがえった“韓国の至宝”宣銅烈、セ界記録達成

[ 2009年8月1日 06:00 ]

1年で見事復活した宣。韓国へ帰国後も指導者としての評価はすこぶる高い
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 【中日8-5ヤクルト】その瞬間、いつものガッッポーズはより派手だった。こぶしを作った右手を思い切り後ろに引き、さらに雄たけびまで上げた。
 チームの連敗を4で止めたことへのガッツポーズであると同時に、自分に対してのガッツポーズでもあった。来日2年目、中日・宣銅烈(ソン・ドンヨル)投手が神宮でのヤクルト18回戦で、8回からリリーフに立ち、見事火消しに成功。シーズン28セーブ目をマーク。5月21日の阪神7回戦(甲子園)で1回3分の2を抑え、セーブを記録してから18試合連続してセーブポイントを記録した。

 90年、広島の佐々岡真司投手が残した17試合連続を上回るセ・リーグ新記録に、宣は誇らしげにこう言った。「今年はいいフォームで投げることができている。記録は自身があった」。
 この日の最速は152キロ。9回1死二塁で、古田敦也捕手空振り三振に仕留めたストレートだった。表示球速も速かったが、それ以上に打席に立っている打者の方が速く感じた。「打てる雰囲気がなかった。今の宣はちょっと手がつけられない」と古田。それを物語るように18連続SPの間に29回3分の1を投げて、被安打13で失点はわずかに1。防御率は0・31だった。
 1年前の宣は別人だった。総額7億円で“韓国の至宝”が海を渡って中日入りしたのは96年。通算146勝132セーブの男は、必ずやドラゴンズに優勝をもたらしてくれると大いに期待された。
 しかし、キャンプイン直後に母親が亡くなり帰国、調整が遅れた。日本だけでなく韓国マスコミ、国民の過剰な期待と右ひじ痛もあって、宣は予想を大きく下回る成績しか挙げられなかった。38試合で5勝1敗もセーブはわずか3。防御率5・50でシーズン途中からは中継ぎ、しかも負け試合での“敗戦処理”に近い扱いでの登板が目立った。
 2年契約のため残留はしたものの、星野仙一監督の頭の中では“構想外”。崖っぷちに立たされた宣は、生き残りのためにプライドを捨てた。良くも悪くも自信家だった男が周囲にアドバイスを求め、投球フォームの修正に取り組んだ。
 年末年始も韓国へ戻らず、三が日が明けてからは長野で自主トレに励んだ。懸案のフォーム修正では、腕の位置が下がっていることを発見。これが球のキレがなくなった最大の原因だった。
 腕の位置を高くすることで、ボールリリースポイントも上になり、そこで全盛時の角度とスピードが戻った。得意のスライダーも横滑りから、縦に変化するボールに威力が増し、おもしろいように打者を手玉に取ることができるようになった。
 連続セーブポイントの記録は、19試合目の広島19回戦(8月6日、ナゴヤドーム)で途切れ、日本記録の近鉄・赤堀元之投手の21試合には届かなかったが、97年は結局、1勝1敗38セーブ。ドーム元年で最下位に沈んだ中日だったが、宣の復活で翌98年は横浜と最後まで優勝争いを展開、そして99年1勝28セーブで、中日11年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

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