日めくりプロ野球 8月

【8月2日】1982年(昭57) 多摩川グラウンド水没 巨人、8年前の悪夢再来

[ 2009年8月1日 06:00 ]

多摩川水没の前年、8年ぶりに日本一になった巨人。指揮を執った藤田監督(中央)だが、水没のジンクスは生きており中日に最後の最後で優勝をさらわれた
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 グラウンドは一面にわたってヘドロの海。流木が散乱し、バックネットは支柱が折れ曲がって倒れ、一塁側ベンチは跡形もなく流されてどこかへいってしまった。
 外に出しておいたままだったピッチングマシーンは泥と草木が絡みつき使用不能になり、ボール約1500個も行方不明。サブグラウンドの人工芝も泥だらけになってめくれ上がり、ブルペンには汚泥が流れ込んだ。

 台風10号が通過した後の、巨人軍多摩川グラウンド。隣接する多摩川が氾濫し、川の水とと泥が容赦なくグラウンドに流れ込んだ。ぼう然とするしかない惨状に10年以上に手塩にかけてきた、務台チーフグラウンドマネジャーは肩を落とした。「ヘドロで土がダメになった。全部掘り起こして整地しないと使いものにならない。早くて1カ月はかかる。優勝争いをしている最中なのに、本当に困った」。被害は金額に換算して3000万円以上となった。
 連覇を狙う巨人は首位を走るも2位中日と1・5ゲーム差。3位広島を含め、激しい優勝争いの行方は8月決戦いかんにかかっていた。後楽園をはじめ、神宮、横浜で試合がある時はもちろん、移動日なども含めて1軍選手にとって大切な調整の場である多摩川が使えないのは、巨人にとっては大きな痛手。その障害はすぐに起きた。
 翌3日の大15回戦(横浜)を前に、多摩川に代わる練習場を確保しようとした巨人は横浜スタジアムにかけ合ったが、当日は大洋も練習の予定が入っており断られると、今度はヤクルトに交渉。神宮の室内練習場をなんとか借りることができたが、ヤクルトが練習する合間を縫ってという肩身の狭いものだった。
 多摩川水没、を耳にした巨人・藤田元司監督は「自然には勝てないから。なんとかやりくりして練習する場所を確保していく」としながらも、ある忌まわしい記憶がよみがえった。
 8年前の74年、10連覇をかけて中日とデッドヒートの戦いをしていた巨人は9月1日に台風16号が通過した際、今回と同じように多摩川グラウンドが水没した。約1カ月間使用不能となり、思うように調整ができなかった巨人は最後の最後で中日に競り負け、長嶋茂雄三塁手引退、川上哲治監督勇退の年に有終の美を飾ることはできなかった。
 多摩川水没による苦い経験をしている現役選手は、8年後ほとんどいなくなっていたが、当時藤田監督は2軍投手コーチ。「あの時も中日と優勝争いしていたんだよな。同じ状況だね」。嫌な過去の再来が頭の中をよぎった。
 ブルドーザーなどを導入し、3週間程度でなんとか使える状態になった多摩川グラウンドを9月に再び台風禍が襲った。8月の苦い経験から施設や用具への被害はなかったが、再度グラウンドは水没した。そしてペナントレースは最終戦で大洋に敗れた巨人が、残り試合の多かった中日に優勝をさらわれた。嫌な予感は的中、2度目の悪夢を味わってしまった。
 巨人が水没の心配のない、東京都稲城市のよみうりランドにジャイアンツ球場を完成させたのは、水没から3年後の85年。以後、1軍の調整、2軍の練習の場として多摩川はその役目を徐々に終え、98年に巨人はこのグラウンドと別れを告げた。

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