日めくりプロ野球 8月

【8月23日】1983年(昭58) 指揮官はおカンムリも西武の仲良し兄弟合わせて100勝達成

[ 2008年8月20日 06:00 ]

兄の松沼博久(左)が先発、弟の松沼雅之リリーフして勝利を挙げ、互いをたたえ合う兄弟。弱体だった初期の西武投手陣の柱となった
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 【西武9-5近鉄】大量得点の援護で勝つには勝ったが、西武・広岡達朗監督は怒り心頭だった。「ダラダラと1人で野球をやりやがって。こういう試合は不愉快だ。あしたの試合にも影響する」。
 “1人”とは、近鉄17回戦(日生)に先発した松沼雅之投手。「オトやん」「オト松」と呼ばれた、同じ西武の松沼博久投手の実弟は、7回まで散発4安打無失点も8回二死一塁から3連打を浴び、さらに有田修三捕手には左翼へ16号3点本塁打を食らって完投目前にして5失点。V2に向かって突き進むライオンズにとって、きょうこそリリーフ陣が休息を取れると、大喜びしていたが、ふがいない投球に指揮官は完投勝利の権利を剥奪。9回、セーブのつかない場面ではあったが、小林誠二投手が火消し役として登板。松沼弟はベンチの角で小さくなっていた。

 それでもこの1勝は兄弟にとって記念すべき白星だった。シーズン12勝(5敗)の松沼弟は通算49勝目。兄は同51勝で、兄弟合わせて“100勝”の大台に到達した。クラウンライター・ライオンズから西武ライオンズにチームが生まれ変わった79年にそろって入団した2人にとって、それは1つの大きな目標であった。
 76年秋、8勝をマークし東洋大に東都大学リーグ初優勝をもたらした松沼弟。リーグ戦歴代2位タイの39勝を挙げ、日米大学野球でも大活躍し78年のドラフトの目玉とされた。しかし、松沼弟は将来野球を続けるにあたって大前提となる条件があった。それは「兄貴と同じところでプレーする」ことだった。
 兄も当時、社会人の東京ガスでエースとして君臨。78年の都市対抗野球1回戦では丸善石油を相手に17奪三振という、07年現在も破られていない大会記録を樹立。こちらもドラフト上位候補として名前が挙がっていたが、早々と会社残留を宣言。自然の成り行きとして弟も東京ガス入社、プロ入り拒否を表明した。
 ところが、この年は元法大・江川卓投手をめぐり、巨人がいわゆる“空白の1日”で強引に入団させようとした事件が起き、江川獲得が認められなかった巨人はドラフトを欠席。そのため、ドラフト外で新人選手獲得に走らなければならなかった。そこで目をつけたのが松沼兄弟だった。“兄弟そろって”がキーワードだったことから、巨人は長嶋茂雄監督まで秘密裏に出馬し2人の獲得を狙った。
 しかし、最終的には西武に2人とも持っていかれた。「西武の方が水が合う気がした」と松沼兄は話しているが、西武の根本陸夫監督が「2人ともすぐ1軍で使う」と明言したのに対し、巨人側は「弟の雅之君はファームで鍛えてから1軍で」というのが、決定打になったという。
 公約どおり、弟もルーキーイヤーから1軍で登板。16勝(10敗)で新人王を獲得した「兄やん」から比べれば劣るものの、4勝(5敗3セーブ)の数字を残した。
 兄弟100勝の次は200勝が目標になったが、弟は85年以降右ひじ痛に悩まされ、89年で引退。通算69勝51敗。兄は単独で112勝(94敗)を挙げたが、90年に引退。兄弟合わせての勝ち星は181勝止まりだった。03年、西武の1軍投手コーチが兄、2軍が弟でスタートし、7月に2人が入れ替わり、その年のオフに退団。どこまでいっても一緒の2人であった。
 プロ野球界で兄弟投手は何組かあったが、兄弟合計で257勝257敗の数字を残したのが、阪急・梶本隆夫、靖郎の兄弟。しかし、兄隆夫が254勝255敗の成績で、弟は3勝2敗と極端すぎるほど成績が違った。阪神の藤村富美男・隆男兄弟も合計169勝(富美男34勝、隆男135勝)をマークしたが、富美男は後に“物干し竿”と呼ばれたバット1本で勝負したことを考えれば、“松沼ブラザーズ”は兄弟投手としてプロで活躍した稀有な例といえる。

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