日めくりプロ野球 8月

【8月22日】1977年(昭52) いぶし銀・高木守道、初打席初本塁打打者初の200号アーチ

[ 2008年8月20日 06:00 ]

86年7月、監督代行を務めた高木守道コーチ。後に正式に監督も務めたが、人気の点では星野仙一の方に分があった
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 【中日2-2ヤクルト】プロ18年目、大ベテランになってもまだパワーは健在だった。中日のチームリーダー、高木守道二塁手は神宮球場でのヤクルト17回戦の初回、会田照夫投手から左翼スタンドへ逆風をものともせず、シーズン12号の先頭打者本塁打を放った。
 これがプロ入り通算200号本塁打。「これでようやくスッキリしたね。198号(7月12日、対巨人戦)はランニングホームランで全力疾走しなくちゃならなかったけど、きょうは楽だね。ゆっくりベースを1周できるから」と上機嫌。9回にも、敗色濃厚の中で左前打を放ち、代打・森本潔内野手の同点打を呼び込むお膳立てをしたことで、“いぶし銀”のにベテランプレーヤーの存在価値を見せつけた。

 プロ入り初打席も本塁打だった。名門・岐阜商(現県岐阜商)から地元中日入りした60年(昭35)5月7日、中日球場での大洋7回戦の8回、宮本和佳投手から左翼席へ2点本塁打。初打席初本塁打を記録した選手は多いが、200号まで打った選手は、この高木が初めて。08年現在でも誰もいない。初打席初本塁打を打ち、なおかつ通算2000本安打を放った選手は、満塁アーチというド派手なスタートを切った、巨人・駒田徳広内野手と2人だけしか記録していない(高木2274本、駒田2006本)。ちなみに本塁打を多く打ったイメージのある駒田だが、通算では195本止まりで高木の236本塁打よりも少なかった。
 3カ月前までは自ら“限界”を口にしていた。「疲れた。バットがもう振れない」と、スタメン出場しても途中交代することが多くなった高木は現役引退を意識した。前年も引退騒動があったが、もう1年と現役にこだわったが、ペナントレースに入ってもコンディションは最悪。職人肌のプレーヤーだけに、いい加減な状態で試合に出ること自体許せなかった。
 そんな高木の選手寿命を延ばしたのが、6月14日の大洋10回戦(ナゴヤ)だった。初回に間柴茂育投手から、2回は田村政雄投手からシーズン7、8号本塁打を放ったが、これが足掛け3試合にまたがる3、4打席連続本塁打。過去、巨人・王貞治一塁手、青田昇外野手、大洋・松原誠一塁手、阪急・長池徳士外野手らホームランバッターあるいはスラッガーと呼ばれた打者だけが記録した史上7人目のレコードに名を連ねた。
 「体調は悪いし、やけくそで振ったらたまたま飛んでいった」と自嘲気味の高木だったが、だんだん自分が成し遂げたことの偉大さを実感したのだろう、感慨深げにこうも話した。「これといった記録はつくれなかったが、まさかこの歳になってホームランの記録を残すなんてできすぎな話。記録さえ忘れたら、野球は楽しいものと思っていたけれど、久しぶりに記録で楽しんだな」。
 野球の素晴らしさを再認識した本塁打のおかげで、選手寿命は3年延びた。この間に2000本安打も達成した。引退は80年。同じ背番号1、1年先輩の王が「王貞治としてのバッティングができなくなった」と、ユニホームを脱ぐことを表明してから一夜明けた11月7日に決意した。「王さんの引退で、僕がセ・リーグ現役選手の最年長になった。最年長にはそれなりのプレーが要求される。今の僕にはそれに耐えられる気力、体力も自信がない」。頑固な職人気質の内野手は、ドラゴンズ一筋21年の現役生活にピリオドを打った。

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