日めくりプロ野球 8月

【8月19日】1995年(平7) ランニング免除に燃えた!ブロス来日初完封、20日後は…

[ 2008年8月15日 06:00 ]

95年9月9日、巨人戦でノーヒットノーランを達成した瞬間のテリー・ブロス投手。2年目以降、大金を手にしてサボり癖がついたのは残念だった
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 【ヤクルト4-0巨人】一番嫌なことから逃れるためだったら頑張れる。東京ドームの巨人-ヤクルト19回戦、ヤクルトの新外国人選手、テリー・ブロス投手はそれだけの思いで優勝にわずかな望みを持っていたジャイアンツを完封した。131球、4安打2四球10奪三振。メジャーでわずか10イニングしか投げたことのない29歳の右腕にとって生涯初のシャットアウト勝利だった。
 これまで8勝を挙げていたが、16試合の先発起用で7回以上投げたのはわずか5度。夏場でリリーフ陣がへばってきているだけに、元来は完投能力のあるブロスに最後まで投げきってほしいというのが首脳陣の本音。そこで角盈男投手コーチが一計を案じた。

 14日の練習中のこと。角コーチはブロスに提案した。「7回投げたら30分。9回完投したら免除してやる。代わりにオレと上水流(かみずる)洋トレーニングコーチが30分」。何のことかといえば、ランニングの時間のことだった。ヤクルト投手陣は登板翌日1時間のランニングが課されていた。身長2メートル5センチ、体重104キロの巨漢ブロスにとってこれが大嫌いだった。
 角コーチの提案は魅力的だった。最後まで投げきれば走らなくて済む。しかも、コーチ2人がオレの代わりに走るなんて愉快じゃないか--。発奮したブロスは完投どころか、完封。出迎える角、上水流コーチは複雑な笑みを浮かべながら、ブロスとガッチリ握手した。
 「日本に来てからのベストピッチさ。なにしろ真っ直ぐが最高だったね」と、ランニング免除のブロスは何を聞かれても上機嫌。「汗っかきだから涼しいドームで気分良く投げていたな」と、野村克也監督はシーズン区切りの100試合目での貯金28にご満悦。巨人に11・5差をつけての独走に余裕の表情だった。
 これで気をよくしたブロスはその約3週間後、同じ巨人戦、同じドームでランニング免除の時以上の快投を演じた。22回戦に先発し、8回に代打・大森剛内野手に死球を与えるまで打者22人をパーフェクト。結局最後までなげきり10三振を奪い、史上62人目のノーヒットノーランを達成。チームとしては国鉄時代の61年(昭36)の森滝義巳投手以来34年ぶり、セ・リーグの外国人投手としても65年(昭40)のジーン・バッキー投手(阪神)以来、30年ぶりの快挙だった。
 長身を生かし、元はバスケットの選手。大学時代にNBAシカゴ・ブルズにスカウトされるほどのプレーヤーだったが「バスケはそれほど好きじゃない」と拒否。「遊びで所属していた」という地元のマイナーチームで投げていたところ、メッツのスカウトに誘われ、野球界に進んだ。しかし、少し球が速い程度の素人同然の投手は、マイナーでも食べていけず、コンピュータープログラマーの夫人の収入で生活していたほどだった。
 入団テストに合格したブロスが、ヤクルトから提示された条件は年俸4000万円。日本では格安助っ人の部類に入るが、野球で食べられなかった投手にとってはかなりの大金で、二つ返事で来日した。
 ノーヒットノーランを達成した1年目に防御率2・33で同1位のタイトルと日本シリーズ優秀選手賞を獲得、96、97年とも開幕投手を務めいずれも白星を挙げた。しかし、成績は年々下降線。95年の14勝以降、7勝ずつ。直球とスライダー主体の投球パターンが読まれ、拙守と制球力がたたった。97年オフにヤクルトを自由契約。阪神、オリックスなど5球団争奪戦の末、年俸1億円で西武に移籍したが98年に2勝したのみで、99年6月に再度解雇された。帰国後は球界に復帰せず、夫人とともにコンピューター関連の会社を立ち上げたと聞く。

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