日めくりプロ野球 8月

【8月11日】1960年(昭35) 外野フライ打たせるな!“トボケの源さん”がパーフェクト

[ 2008年8月7日 06:00 ]

プロ野球史上6人目(当時)の完全試合を達成した大洋・島田源太郎。大洋初優勝の原動力となった
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 【大洋1-0阪神】外角低めのストレートが決まり、カウントは2-3になった。「ヨッさん、頼むで。打たんでくれよ」。思わず捕手がつぶやいた。川崎球場、大洋-阪神20回戦。9回表二死走者なし。プロ野球史上6人目(当時)の完全試合まであと1球。クライマックスがやってきた。
 マウンドには弱冠21歳、テスト生上がりながらここまでシーズン12勝の大洋・島田源太郎投手が立っていた。

 打者にささやいた土井淳捕手の方が緊張していた。「一生に一度、経験できるかどうかだ。ヨッさん、頼むで。打たんでくれよ」ともう一度つぶやいた。聞こえたのか聞こえてないのか、代打で登場した阪神・吉田義男内野手は無言のままだった。最後の1球はストレート以外考えられなかった。インコース低め。この日、島田の一番威力のあるボールであり、知久球審が好んでストライクを取っているコースでもあった。
 やや低かった。そう土井も思ったのだろう。捕球の際、ミットをやや上に動かした。球審の右手が上がった。「ストライーク、バッターアウト!」。投球数108、三振3、内野ゴロ11、内野飛球10、外野飛球3、もちろん無安打無四球。大洋球団初の完全試合がここに達成された。
 阪神のエース・村山実投手投げ合っての大記録達成。本人は放心状態だった。報道陣に何を聞かれても「実感がわかないんだ。一人になったら、泣くかもしれないけど…」。あだ名は“トボケの源さん”。ニヤッと笑った程度で気のきいたコメントの一つも言えなかった。58年にテスト生で大洋入りし、2年間で6勝の投手。完全試合をやったというより、スーパースター村山に勝ったということのほうがむしろ嬉しかった。
 「どうしたら外野にフライを打たれないで済むか」。試合前、マッサージを受けながら島田はそればかりを考えていた。台風が日本列島を横断、天気は台風一過で晴れていたが、風はその余波で強かった。試合当日の風は本塁からレフト方向。打者に有利な“ホームラン風”だった。
 それでも大洋バッテリーは、間違えばスタンドに持っていかれる内角球をあえて多投した。「島田の真っ直ぐはスピードもあってキレていた。外野までは飛ばない」。頭脳派捕手・土井の、それが読みだった。
 読みは当たった。飛球は上がるものの、ほとんどが内野へのポップフライ。外野へのフライは内野の10本に対して、わずか3本だった。危なかったのは5回。4番・藤本勝巳一塁手の当たりは、ゴロでセンターへ抜けそうになったが、ルーキー・近藤昭仁二塁手が逆シングルで抑え、間一髪アウト。続く5番・三宅秀史三塁手はレフトへのライナー性の飛球。風にも乗って伸びたが、沖山光利左翼手が背走して好捕した。
 大洋は阪神との際どい勝負をものにし、2位中日にわずか1厘差で首位をキープ。このままゴールに駆け込んだ。この年、島田は19勝。エース・秋山登投手に次ぐ勝ち星で大洋を6年連続最下位から初優勝へと導いた1人となった。
 その後、肩痛などで長年低迷。67年オフに自由契約となったが、家計簿を持参して交渉に臨み、苦しい家庭の事情を訴え「あと1年」の約束で現役を続行。すると突如14勝(6敗)をマークし、勝率7割で68年の勝率1位のタイトルを獲得。8年のブランクがありながらの復活は大洋首脳陣を驚かせた。
 70年に引退も、投手難の大洋は72年に現役復帰を要請。2度目の復活を果たし、3勝を挙げた。現役通算70勝77敗。駅のホームでシャドウピッチングをしていた際、夢中になりすぎて線路に落ちたほど、研究熱心な努力家でもあった。

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