日めくりプロ野球 8月

【8月4日】1991年(平3) 日本新記録11打数連続安打 きっかけは豪雨のパフォーマンス

[ 2008年7月30日 06:00 ]

11打席連続安打の本塁打を放ち、生還したレイノルズ。打撃よりも守備と走塁、それにピアスで印象に残る選手だった
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 【大洋7-1ヤクルト】アウトコースの低め。左打席から逆らわず左中間へ運んだ打球はそのままスタンドインした。中段ではねると、日本新記録を知っているホエールズファン、一塁側ベンチが総立ちで背番号20を迎えた。
 何事もなかったように、ホームで花束を受け取り、ベンチに戻ってきたのは大洋のロバート・ジェームズ・レイノルズ右翼手。ヤクルト・宮本賢治投手から放った、8号2点本塁打こそ、日本新記録となる11打数連続安打(03年に巨人・高橋由伸外野手も達成)。54年(昭29)の大映(後のロッテ)・坂本文次郎、78年のチャーリー・マニエル(ヤクルト)、81年の掛布雅之(阪神)の10打数を超えた。

 「連続してヒットを打つことは、とても大変なことさ。新記録の前にヒットを打てたことで、緊張の大きな波が去っていくような気がした」と、タイ記録の方がプレッシャーで金縛りにあっていたというスイッチヒッターのレイノルズ。12打数目こそ、左投手の乱橋幸仁投手に代わり、左打席より苦手な右打席に立ち三ゴロに倒れたが、次の打席は右の郭建成投手から中前打。3夜連続の猛打賞に「妻に国際電話で報告するよ。独り暮らしは寂しくて」と急いで帰宅した。
 7月は1割台の成績で打撃不振に悩んだ。竹之内雅史打撃コーチが、バットのグリップの位置を下げ、寝かせていたバットをやや立てるフォームにしたらどうかとアドバイス。スイングの軌道がスムーズになり、今までファウルにするのが精一杯だった外角の変化球についていけるようになった。11安打中8安打が逆方向に飛んでいることがその成果をよく表していた。
 それともう一つ、こんなことがあった。8月1日の中日17回戦(横浜)の試合前、突然の夕立でグラウンド内はシートが敷かれ、その上に水たまりができた。降り続く雨の中、じっとスタンドで試合開始を待っているファンにレイノルズはベースランニングをしてみせ、最後はお決まりのホームベースへヘッドスライディング。観客は大いに喜んだが、レイノルズ自身何か吹っ切れたような気がした。「自分なりにイライラを解消したんだ。気分転換になったよ」。この試合の第3打席、今中慎二投手から左前打を放った。これが4日間にわたる新記録への道の第一歩になった。
 日米野球で来日中に大洋入りを決めた選手だった。90年、ピッッバーグ・パイレーツの外野手として日本にやってきた、レイノルズはメジャー109盗塁の実績に加え、堅実な守備をみせ評価が急上昇。典型的な中距離ヒッターだったが、機動力野球のチームに体質改善を図っていた大洋・須藤豊監督は、走れない守れないの大砲、ジョージ・マイヤー内野手を切って獲得に乗り出した。
 レイノルズも本気だった。夫人には京浜東北線に乗せて横浜スタジアム周辺を下見させたり、買い物させたりと周到に事前調査。パイレーツからフリーエージェントになり、メジャー9球団から誘われたものの、大洋が首位打者ジェームス・パチョレック外野手の来日時の約10倍の1億8200万円の年俸を用意すると即合意した。日本で2、3年実績を積み、逆輸入でメジャー復帰をした際に“価値”をつり上げることを目論んでいたようだ。
 1年目は3割1分6厘、15本塁打80打点とまずまずの活躍をみせたが、ひざを故障し17盗塁止まり。それでもベストナイン、ゴールデングラブを獲得した。
 しかし、2年目は右打席で全くと言っていいほど打てず、左投手に左打席で挑むほどで打率も2割4分8厘にまで下がると、新生横浜ベイスターズになるのを機にリリース。近鉄が獲得したが、ひざの故障は完治せず1年で退団。メジャー逆輸入計画は頓挫し、野球界から引退した。
 左耳にピアスをつけながら日本でプレーした最初の選手としても有名。趣味は靴の収集で、最初の宜野湾キャンプに30足のプライベートシューズを持ち込んだ。愛妻家ではあったが、女性ファンには相当モテたという。

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