日めくりプロ野球 8月

【8月3日】1981年(昭56) “史上最強”男、復帰後初スタメンで放った感激のホームラン

[ 2008年7月30日 06:00 ]

江本から先制の3点本塁打を放った柳田真宏。トレードマークの背番号36は32に代わっていた
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 【巨人4-3阪神】プロ15年目のベテランは、その日緊張していた。「高校出のルーキーが初めてスタメンで使われた時みたいな気持ち。顔が引きつるし、ドキドキする」。ニックネーム“マムシ”の顔は確かにこわばっていた。
 4年前、巨人・長嶋茂雄監督に“史上最強の5番打者”と呼ばれた、柳田真宏外野手のそれが偽らざる心境だった。阪神-巨人21回戦(甲子園)に、「7番・右翼」でスタメン起用された柳田にとって、これが81年初の先発出場。前年、永本裕章投手とのトレードで阪急に移籍したが、1年でまた永本との交換によって巨人に復帰。背番号36から32に変わっていた。

 2回無死一、二塁。最初の打席でチャンスで回ってきた。マウンド上は阪神・江本孟紀投手(「ベンチがアホやから…」の“名言”を残し、突然引退するのは、この約3週間後)。カウント2-2からのシュートだった。「引っ掛けて併殺に取ろうとするだろうと思って、逆に狙っていた」と緊張していても頭はクールだったベテランは左翼へ高々と飛球を上げた。
 左翼手の足が止まると、打球はラッキーゾーンへ飛び込んだ。長嶋監督から代わた藤田元司監督の起用に応えた先制3点アーチ。阪急時代の80年6月16日、西宮球場での西武11回戦で五月女豊投手から放って以来、413日ぶりにダイヤモンドをゆっくりと回った。
 実は柳田、“謹慎生活”の中での一発でもあった。週刊誌に女優との不倫を書かれ、家族とは別居。落ち着いた先は、若手や2軍選手が生活する多摩川の合宿所だった。郷里・熊本の大先輩、武宮敏明寮長の管理下、針のムシロの生活を続けていた。
 おまけにチームは柳田がクリーンアップを打っていた頃から比べると、若返りし外国人選手も入って、柳田は完全な代打要員。ほとんどないチャンスを生かした一撃だった。
 この日は1号本塁打を含む2安打1四球。「僕には野球しかないということがよく分かった」。プロ初の勝利打点を挙げると久々に報道陣に囲まれ、インタビューを受ける試合後の顔から初めて笑みがこぼれた。
 しかし、これが“マムシ”が大暴れした、最後のシーンだった。巨人復帰の年は、劇的な本塁打1本に終わり、安打はわずか6本。打率1割3分。再起を期した82年は12安打2本塁打で、2割4分。127安打21本塁打、3割4分を打った77年の輝きは2度と戻らず、「体力も走る力も投げる力も落ちてしまった」と自ら引退を決意。通算100本塁打まであと1本に迫りながら「悔いはない」とユニホームを脱いだ。
 現役時代からレコードを出していた柳田は引退後、バットをマイクに握り替えて歌手として本格デビュー。一時人気グループ「敏いとうとハッピー&ブルー」に在籍していたこともあった。
 イケる口にみえるが、酒は全くの下戸。それでも現在は東京都内で飲食店を経営。自ら厨房に立ち、客に料理を振る舞い、時にはすしも握る。客の要望に応じて歌も歌うという。まさに芸は身を助けるである。

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