日めくりプロ野球 2012年9月

【9月3日】1957年(昭32) 稲尾和久“緊急避難”で14連勝 三原監督「高松の田舎の野球」

[ 2012年9月3日 06:00 ]

 【西鉄4―3大毎】背番号60が三塁側ベンチから出てきて、二出川球審に選手の交代を告げた。しかし、球審は何度も一塁と投手の方向を指差し、確認作業をしていた。その答えは場内アナウンスでようやく分かった。

 「ライオンズ選手の交代をお知らせいたします。ファーストの河野に代わりまして、ピッチャー若生。ピッチャーの稲尾が一塁に入ります」。後楽園球場での大毎(現ロッテ)―西鉄(現西武)14回戦の5回裏2死一塁、打者は大毎の5番葛城隆雄三塁手の場面。西鉄・三原脩監督は、あと1つアウトを取れば、勝利投手の権利を得る稲尾に交代を命じた。

 と言っても、ベンチに下がるわけではなかった。稲尾に一塁を守らせ、若生忠男投手をマウンドに送った。その後、プロ野球の多くの場面で見られるようになった、投手の“緊急避難”だった。戦前の職業野球や一リーグ時代にはよく見られた光景だが「二リーグに分かれてからははじめてのこと」(9月4日付、スポニチ)だった。

 稲尾は葛城に2打数2安打2打点と打たれていた。この試合に限らず、葛城は対稲尾に5割近い打率を残しており、大毎打線は4番の山内和弘左翼手よりも「チャンスで葛城に回せ」が合言葉だった。直前の5回表に、中西太三塁手の本塁打で勝ち越した西鉄は、ここで一本打たれてはと、三原監督が打った苦肉の策だった。

 若生も心得たもので、三原監督に「葛城だけ抑えろ。全部内角球だ」と指示されてマウンドへ。アンダーハンドから繰り出したその4球目。シュートを投げた若生は、葛城を詰まった二飛にし止めた。ホッとしたのは三原監督よりも、稲尾の方だった。「一塁なんてやったことないですよ。打球が飛んできたらどうしようと思って。二塁にフライが上がったときも遠くにいようと思って、ファウルグランドまで逃げたよ」。

 「稲尾投手なら打つ自信はあったが、若生はよく分からん。シュートがくるとは思っていたが、ファウルにして甘い球が来るのを待てば…。三原さんがチョコチョコ動くんでイライラして力任せに打ってしまった」と葛城。データとともに葛城の性格まで読んだのか、いずれにしても名将の采配がさえてピンチを脱した稲尾は、再度6回からマウンドへ。後半はチャンスらしいチャンスも与えず、1点差ゲームを“最後まで”投げきって14連勝。ハーラーダントツトップの26勝目(5敗)を飾った。

 三原監督は、してやったりの表情でポイントになった、稲尾一時交代を説明した。「あれは高松(市、香川県)の田舎でやっていた野球ですよ。ピンチなると違う人が投げて、また戻ってっていうの。葛城君の場面は嫌な予感がした。稲尾は代えるような投球ではなかったし、ならばと昔の少年時代を思い出して、やってみた」。いたずらがうまくいった少年のようにニヤリと笑った三原監督は、南海の猛追をかわし、2年連続でパ・リーグを制し、日本一へと駆け上っていった。

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