日めくりプロ野球 2012年6月

【6月28日】1984年(昭59) 植村義信監督 近鉄戦未勝利で辞任 後見人・大沢親分急復帰

[ 2012年6月28日 06:00 ]

 【日本ハム7―2近鉄】シーズン半ば、しかも1年目の指揮官が体調不良でもないのに、開幕からわずか3カ月で辞任した。

 日本ハムの植村義信監督は遠征先の名古屋で緊急会見を開き、28日をもって監督の座から退く考えを示した。23勝37敗9分けで最下位のファイターズ。首位阪急に16ゲーム差をつけられ、3年ぶりのV奪回どころか、6年続いてきたAクラスすら難しい状況で、植村監督は「成績不振は全て私の責任。ここで決断しないとチームが駄目になってしまう」と、前夜大沢啓二球団取締役強化本部長に辞意を伝えた。

 植村監督が特に気にしていたのは、対近鉄戦で0勝8敗4分けと1つも勝てていないことだった。26日から組まれていた3連戦で2つ勝てなければ、辞任すると腹を決めて戦いに臨んだ。26日は雨天中止も、27日は3―3で引き分けると、植村監督の決断は早かった。

 キャンプから休日なしの熱血指導、門限の徹底、朝から晩まで野球漬けの毎日だったが、監督のみが空回りしている状態だった。大沢監督時代に自由奔放な豪快野球をやってリーグ優勝を勝ち取った日本ハム。真逆の首脳陣に戸惑う選手も多く、チームは5月に10日に最下位に転落し、6月頭には投手コーチを入れ替えたが、チーム上昇の起爆剤にはならなかった。

 8年間務めた日本ハム監督を勇退し、植村を新監督に強く推したのが、大沢本部長だった。大沢本部長より大沢親分と言った方が分かりやすいが、早急に監督人事に取りかかる必要があった。しかし、シーズンの半分を過ぎての外部招へいは無理。種茂雅之2軍監督や矢頭高雄ヘッドコーチの内部昇格案もあったが、「周囲の反対を押し切って推したオレに責任がある」と、“敗戦処理”監督として、大沢が急きょ復帰することになった。

 植村が辞任した、28日の近鉄13回戦は応急措置として、矢頭ヘッドコーチが指揮を執った。皮肉にもここまでわずか1勝の木田勇投手が、7安打8四死球を出す乱調ながら完投勝利。近鉄戦初勝利となった。

 「覇気が感じられねぇチームになっちまった。ここは1つチームに喝を入れたい」と、大沢は植村辞任からわずか2日後の西武15回戦(西武)から指揮を執った。新人のドラフト2位、津野浩投手を先発させると、チームは10点をたたき出し、津野は完封勝利。「下を向いていても落ちているのは、すずめのエサくらい。前を向かなきゃ」と“大沢節”は復帰1日にして全開だった。

 植村前監督の対立候補だったのが巨人OBの高田繁がハムの監督に就任したのは85年。大沢はもう二度とユニホームは着るまいと思って高田新監督に政権を禅譲したが、その8年後の93年に日本ハムで3度目の監督就任の日が来るとは、この時夢にも思わなかった。

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