日めくりプロ野球 2012年6月

【6月10日】1994年(平6) 不祥事から2年半 中山裕章 中日の支配下登録選手に

[ 2012年6月10日 06:00 ]

 遅かれ早かれこの日が来ることは球界関係者の間では知れ渡っていたが、その名前を聞いた時、多くのプロ野球ファンが驚きを禁じえなかった。

 中日は元大洋(現DeNA)の中山裕章投手を支配下登録選手にしたことを発表した。91年12月、不祥事を起こして警察に逮捕され、その後釈放も大洋から自由契約になり、球界を離れていた右腕の2年半ぶりの正式な復帰だった。

 「再び野球ができることへの感謝の気持ちでいっぱいです。自分が犯した罪の過去は消えないが、やらせてもらう以上はチームの役に立てるように頑張りたい」と、会見の席上で中山は決意を述べた。

 大洋の若きエースの転落は、91年末の球界に激震を走らせた。年明けに球団を解雇された中山に対し、当時の川島セ・リーグ会長は「社会的に更生できると確認される時点まで、全球団が中山投手との選手契約を無期限に行わないようお願いしたい」という声明を発表。中山自身も深く反省し、人生をやり直すために頭を丸めて寺に修行へ行ったり、更生の一環として運送会社で荷物運びの仕事をするなど、グラウンドに背を向け人生のやり直しを誓った。

 中山を支援する会がなんと21万人分の署名を集めて、川島会長に復帰を嘆願したのは事件の1年後のこと。球界復帰に向けて93年3月には始動し、川島会長は児童心理学者を伴い、中山と面会。復帰に問題がないか、自分の目で確かめた。川島会長は即日、12球団へ契約凍結要請を解除。中山の球界復帰への道が開かれた。

 93年3月27日に中日が球団職員として中山と契約。打撃投手を務めることになった。150キロのストレートとフォークボールを武器に大洋で先発から抑えまで経験した投手だが、1年以上のブランクは予想以上で、体力づくりからスタート。「ようやくプロの投手として通用するボールを投げられるようになったと判断した」という球団は、選手として契約することになった。

 年俸は800万円。大洋時代の5分の1程度になったが、投げる喜びを改めて知った中山は6月21日のナゴヤ球場でのウエスタンリーグ、ダイエー戦に先発。背番号125のユニホームで985日ぶりの実戦マウンドを踏んだ。3回3失点ながらも最速は144キロを記録。1軍復帰への道筋を付けた。

 中山が1軍復帰したのは、オールスター戦明けの7月24日。ナゴヤでの巨人18回戦の6回に登板。1軍マウンドは、大洋在籍中の91年10月10日の阪神戦以来、1085日ぶりだった。1死三塁のピンチも初対決となった巨人・松井秀喜外野手を遊直に、続く落合博満内野手は、フォークで三振に仕留めた。

 以後10年間、中日と台湾球界で活躍。日本では通算51勝71敗62セーブの成績を残した。96年には球宴にも大洋時代以来、2度目の出場。大きく遠回りしたが、第2の野球人生を周囲に感謝しながら投げ続けた。

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