日めくりプロ野球 2012年6月

【6月8日】1994年(平6) その時、マッサージ台に…鹿取義隆 “完投”勝利

[ 2012年6月8日 06:00 ]

 【西武2―1日本ハム】西武ベンチが大慌てしている最中に、37歳のベテラン右腕はマッサージ台に乗っていた。「そしたらお呼びがかかっちやって。わけも分からずブルペンに駆け込んだよ」。気持ちを落ち着けるように、20球ほどキャッチボール程度の投球練習を終えると、鹿取義隆投手は東京ドームのマウンドへと上がった。

 まさにスクランブル登板だった。日本ハム11回戦の初回、西武先発の村田勝喜投手が無死一、二塁のピンチを背負い、3番田中幸雄右翼手を迎えたその2球目、突然腰の痛みを訴えて投げられなくなった。腰部捻挫だった。そこで呼ばれたのが鹿取だった。「5球も投げれば肩が出来上がる」といわれた、本業はリリーフ投手。それを森祇晶監督は逆手に取り、初回から登板させた。

 いくら修羅場は数多く切り抜けてきているといっても、この状況で試合の流れに入っていくのは難しい。田中には左前打を打たれて満塁。4番指名打者のマット・ウインタースを迎えた。

 いつもの鹿取に戻るのに打者1人に投げれば十分だった。ウインタースを二ゴロ併殺に仕留め、その間に三塁走者が生還し、1点を許したが、与えた得点はこれだけ。2回に2四死球は出したものの、ヒットを1本も打たせず、9回を投げきっていた。

 公式記録では完投とはならないが、紛れもなく27個のアウトを取った“完投勝利”。しかも、1安打2四死球で完璧な投球内容だった。涼しい顔をして97球でまとめた鹿取は、9回に決勝適時打を放った伊東勤捕手とガッチリ握手。巨人時代の83年8月21日に、横浜での対大洋(現DeNA)22回戦で8安打2失点で唯一記録した完投勝利以来、11年ぶりに投げた長いイニングだった。

 「ナイスピッチング?いいピッチングなわけないでしょ、あれだけ慌てて出て行って。たまたま、相手の読みと逆のボールが行って打てなかっただけ」と謙遜したが、11年前は165球も投げたが、緊急登板の今回は97球で勝利。リリーフで覚えたあらゆる場面での投球術が生きての省エネ投球だった。

 19年間のプロ野球生活で755試合に登板したが、完投勝利は巨人時代の1つのみ。西武での“完投勝利”がカウントされないのが残念だった。それでも通算91勝のうち、忘れられない1勝だったに違いない。

 プロでは216のセーブポイントを記録し、リリーフ、抑えのイメージが強いが、通算21勝をマークした明治大時代はエースで先発完投型の投手。1978年(昭53)春のリーグ戦では4完投2完封で、法政大の5連覇を阻止。大学選手権決勝でも東都の雄、専修大を完封し、日本一を“御大”島岡吉郎監督にプレゼントした。

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