日めくりプロ野球 2012年4月

【4月6日】1988年(昭63) 真相は?山下大輔 開幕2日前に電撃引退

[ 2012年4月6日 06:00 ]

77年4月5日、試合前にダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)賞の表彰を受けた大洋・山下大輔
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 88年のペナントレース開幕の2日前、大洋の山下大輔内野手は都内の大洋漁業本社で会見し、14年間の選手生活にピリオドを打ち、現役引退を表明した。

 74年にドラフト1位で入団。3年目からレギュラーに定着し、8年連続ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)受賞。77年から78年にかけて守備機会連続無失策「322」のプロ野球新記録(当時)も記録した。

 ダイヤモンドグラブの受賞期間中、米国製の2個のグラブをボロボロになるまで使い、エラーをすると「ごめんな。今度はしっかり捕るから」とグラブに話しかけていたという男は、勝負強い打撃もみせ、通算1378安打で129本塁打。70年代後半から80年代の大洋の看板選手として、決して強かったとは言えないチームを支えてきた。

 それが突然の引退表明。その理由を山下は効説明した。「ここ数年来、選手として力の衰えを感じながらやってきた。若手も着実に育ってきたし、この際、後進に道を譲ったほうがいいと思い、最後のわがままとして引退させていただきます」。

 涙も感傷的な雰囲気もなく、吹っ切れた様子で話した山下は、チームにはとどまらず、ネット裏から野球をもう一度勉強するとしてユニホームを脱ぐ考えを示した。

 まだ36歳と、老け込む年齢ではなかったが、山下の言う通り、確かに全盛期は過ぎていた。85年以降は9年間続けてきた100本以上の安打も2ケタとなり、87年は打率1割8分6厘に。定位置だった遊撃手のポジションも明け渡し、二塁や三塁に回ることも珍しくなくなっていた。名手の称号を得ていたグラブさばきも精彩を欠き、今までアウトにしてきたゴロが捕球できずに、足の衰えを感じた関係者は多かった。

 成績が下降した頃から肝機能障害を起こし、引退直前の88年の自主トレでは不整脈で練習を中止したこともあった。ふくらはぎが痛み、自宅の階段を上り下りするのもひと苦労。かつて華麗なフィルディングと鉄砲肩でならした、日本一のショートストップのプライドが、「お客さんからお金をもらって野球を見せるレベルではない」という結論に至らせた。

 しかし、電撃引退の理由はそれだけではなかった。大洋は87年から広島で4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成した古葉竹識監督を招へい。それまでぬるま湯体質といわれた、ホエールズ色を完全に脱色しようと、コーチ陣から起用選手まで総入れ替えを試みた。

 山下もベンチスタートが多くなり、自分よりも技術も経験も劣る若手が試合に出場した。山下は言う。「やはり新体制になったんだな。監督の使い方を見ていると、もう僕の居場所はないなと…」。

 そして88年の開幕1軍メンバーに山下の名前はなかった。古葉監督は「将来の指導のためにも2軍を見て経験するのは大切」と、その理由を説明したが、選手として山下を計算に入れていないことがよく表れている言葉だった。

 山下は「たまたまそういう時期に重なっただけ」と多くを語らなかったが、同じ大洋の選手はその気持ちを代弁した。「野球選手としてはプライドが高い選手。ファームで鍛えなおす年齢でもない。監督の下では野球はやれないという意思表示」。山下は退団後、米国へメジャーリーグの視察に出かけた。古葉監督が若手を起用し続けた大洋は88年4位、89年最下位と結果が出ず、優勝請負人は3年で退団することを余儀なくされた。
 

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