日めくりプロ野球 2012年4月

【4月1日】1964年(昭39) 満塁弾2本 高山忠克「エイプリルフール」のような打点王

[ 2012年4月1日 06:00 ]

通算51本塁打を放った国鉄・高山
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 【国鉄10―0阪神】内角のストレートをバットの真芯でとらえた打球は、あっという間に神宮球場のセンターバックスクリーンまで到達した。

 「打った瞬間“やった!”って思いました。1本目は失投を打ったけど、2本目は自分でも納得の打球。でも、ジャイアンツ戦で打った時の方が感激は大きかったかな」。

 口調も滑らかなのは、国鉄(現ヤクルト)の2年目、高山忠克中堅手。阪神2回戦の7回、左腕太田紘一投手から放った4号本塁打は、2回の2点弾に続く満塁アーチ。3月22日の巨人3回戦(後楽園)でのプロ初の満塁弾からわずか11日での2発目のグランドスラムとなった。

 開幕11試合で打点は16に。好調な滑り出しをみせた巨人・王貞治一塁手を抜き、単独トップに立った。「エイプリルフールだからって、冗談キツいですよ。僕が王さんの上にいるだなんて…。すぐ抜かれます」と弱冠19歳の大男は照れたが、新人王資格を残すスラッガーに国鉄・林義一監督は「今売り出し中の選手。三振がホームランかのバッターだが、それが魅力。これからも使っていくよ」と生涯一度のタイトルを後押しする考えを示した。

 華々しいアマ時代の経歴を引っさげてのスワローズ入りだった。栃木・作新学院高時代は、当時としては史上初の甲子園春夏連覇を達成。投手の主役が、八木沢荘六(早大―ロッテ)と加藤斌(たけし、中日)なら、打のヒーローが4番に座っていたのが高山。夏の大会が終わると、プロ6球団から声がかかった。

 ドラフト制度が始まる2年前の話。ノンプロ入りが決まっていたことで高山の父は「世話になった学校が決めてくれた進路は変えられない」とプロ側がいくら契約金を吊り上げても、首を縦に振らなかった。その頑固親父にうんと言わせたのが、国鉄の砂押邦信コーチだった。

 栃木名物、かんぴょうで生計を立てる高山の家に連日訪れ、粘り強く説得。父親は砂押の人柄に惚れて、6人兄妹の末っ子を国鉄に預けることにした。砂押の「(立教大監督時代に)長嶋や杉浦(忠投手、南海)を見てきたから分かる。忠克君はプロで成功する」が殺し文句だった。

 入団2年目の64年、満塁本塁打2本を含む18本塁打を放ち、将来の中軸候補に名乗りを挙げたが、好不調の波が激しく成績は不安定でレギュラー定着はならなかった。71年、阪神へトレードされると、7月に寮から失踪。そのまま連絡を絶ち、大浜信泉・プロ野球コミッショナーは、高山を「無期限失格」選手とした。

 年俸180万円だった高山には、ギャンブルなどの借金が100万円以上あり、その返済に困り“黒い交際”まがいのこともあったことで球団にいずらくなったという。阪神の村山実監督に「きれいな身体になってこい」とファーム行き扱いで10日の時間をもらい、借金を返してこいと言われたが、その足で消えてしまった。

 人がいい高山は先輩選手の借金の連帯保証人になったり、借金の申し出を断り切れなかったりと、気の弱さが災いした面もあったという。いずれにしても通算51本塁打を放った外野手に球界初の失格選手という不名誉な肩書きがついてしまったのは、残念でならない。

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