日めくりプロ野球 2011年10月

【10月26日】2006年(平18) 日本ハム 44年ぶり日本一 新庄「漫画のような」締め

[ 2011年10月26日 06:00 ]

日本ハムに初めてV2をもたらしたヒルマン監督
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 【日本ハム4-1中日】07年の日本シリーズに2年連続出場を果たした日本ハム。その前年、06年の日本一は1974年に日本ハムファイターズになってから初、前身の東映フライヤーズから数えて実に44年ぶりの快挙だった。

 98年に大洋ホエールズ以来、38年ぶりに日本一になった横浜の記録を抜く“最長ブランク”優勝。奇しくも記録保持球団だった横浜も、10月26日に日本一になっており、05年に31年ぶりVのロッテもこの日に甲子園で胴上げ。「10・26」は栄冠から遠ざかっていたチームが、輝きを取り戻す日ともいえるようだ。

 札幌ドームでの日本シリーズ第5戦、中日・荒木雅博二塁手の内野安打で4回に先制されながらも、ファイターズベンチ、ナインは「これで面白くなった」と、むしろ追いかける楽しみを味わうような余裕があった。

 先発のダルビッシュ有投手が後続を断ち切ると、5回、稲田直人三塁手の二塁打を足がかりに、9番・金子誠遊撃手がスクイズを成功させ同点。タイスコアの時点で流れを変えてしまうのが、優勝チームの強さだ。

 6回にはフェルナンド・セギノールが中日のエース・川上憲伸投手を粉砕する2点本塁打、8回にも5番・稲葉篤紀右翼手が右中間へトドメのソロアーチをかけ、試合を決めた。

 クライマックスは引退を表明していた、新庄剛志中堅手とウイニングボールをキャッチした弟分の森本稀哲左翼手の抱擁。たぐい稀なエンターテイナーの新庄をして「漫画みたい。出来すぎ」と言わしめたファイターズの優勝だった。

 トレイ・ヒルマン監督が「シンジラレナーイ!」を連発したのも、無理はなかった。05年は5位。しかも勝率1位だったソフトバンクとのゲーム差は26・5、チーム打率は最下位楽天よりも悪く、防御率も4点台に手が届きそうな数字だった。

 それが一気に優勝へと駆け上ったのは、「札幌ドームを満員にする」と宣言した新庄が兄貴分になり、おとなしかったチームのムードを変えていったことも見逃せないが、最大の要因はチーム作りのビジョンが現場、フロントとも一致してブレなかったことにある。

 5、6位が定位置だった優勝までの数年間、新庄に背番号1の後継者に指名された森本は来る日も来る日も千葉・鎌ケ谷の2軍で鍛えられ、イースタンリーグで実績を残して1軍への道を自ら切り拓いた。

 ダルビッシュのようなドラフトでの目玉選手にはあまり人気のなかった日本ハムだが、入団拒否を恐れず果敢に指名し獲得。巨人からシーズン途中にトレードされた岡島秀樹投手、メジャー行きの思いがかなえられなかった稲葉、オリックスを戦力外通告されたセギノール…。戦力と判断すれば、積極的に獲得し、生え抜きの小笠原道大内野手らと融合させ、チームに足りないところを補った。そこに新天地北海道のファンの熱い応援に後押しされての勝利だった。

 至福の瞬間から間もなく、新庄の引退は既定路線としても、小笠原はFAで巨人へ、岡島も夢を追いかけ海の向こうへと旅立った。多くの評論家が「日本ハムの連覇は難しい」と予想する中での07年ペナントレース。交流戦優勝で弾みをつけて、リーグ2連覇、クライマックスシリーズも勝ち抜いたのは、間違いなくチームとしての戦い方、勝ち方がしっかり根付いたことを意味する。

 80年代から90年代の常勝・西武のような黄金時代をファイターズが築けるか、どうか。ヒルマン監督勇退の後を受けて、北の大地に立つ梨田昌孝新監督の一挙手一投足にファンの注目が集まる。

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