日めくりプロ野球 2011年10月

【10月21日】1958年(昭33) “神様”引退表明 川上哲治「16番が泥にまみれぬ前に」

[ 2011年10月21日 06:00 ]

引退した58年当時の川上哲治
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 【西鉄6―1巨人】西鉄3連敗からの4連勝で幕を閉じた58年の日本シリーズ。大逆転負けのショックの中で、一塁側の巨人のロッカールームでは緊急記者会見が行われていた。

 「今年までプレーヤーとしてやってきたが、ここいらで引退すべき時期ではないかと思う。もう我々の時代ではない。これからは若い人が巨人を引っ張っていってもらいたい」。

 遠くを見るような目で、静かに語りだしたのは、川上哲治一塁手。現役18年目、途中戦争によって途切れながらも。戦前戦後を通して、巨人の顔として活躍してきた偉大な大打者がユニホームを脱ぐ決意を表明した。

 公式戦の試合出場数は1979試合。区切りの2000試合まであと21というところまで来ていたが、バットマンとして初の2000安打を記録するなどの金字塔を立ててきた大打者にとって、それは小さいことだった。

 58年の公式戦での川上の打率は2割4分6厘に終わった。18年の選手生活で最低の数字に終わったことに、川上は潮時を感じ取っていた。「これ以上プレーを続けても3割はもう打てないと思う。いや、打てるかもしれないが、打てない可能性の方が強い。私は幸いにしてファンのみなさまからかわいがられてきた。だから、非常にキザっぽい言い方だが、みんなにかわいがってもらった背番号16が泥まみれにならぬうちにファンにお返ししようとも思う」。首位打者5度、打点王4度、本塁打王2度…数々の栄光を球史に刻み、常勝巨人軍の優勝に貢献してきた男に、引き際の美学がその胸の内にあった。

 38歳。まだ選手としてプレーができない年ではなかった。しかし、川上は体調の変化を悟っていた。「今までどんなことがあってもぐっすり眠って次の試合に臨んだ。しかし、今年は寝つきが悪く、コンディションを最高の状態にして試合に出ることが難しかった。それに右足首を6年前に痛めて、それをかばいながらやってきたが、もう限界に来ている。バッティングで踏み出すときに、思うようにいかなくなってきた」。

 “ボールが止まって見える”とまで言った川上だが、ここ数年は「新人投手のボールでさえ、速く見える時がある。振り遅れてしまうんだ」とも親しい記者にはもらすこともあったという。“神様”も実は人間。ボロボロになる前に、という思いは強かった。

 川上引退の58年は、立教大から長嶋茂雄三塁手が入団した年。長嶋は新人ながら本塁打王と打点王の2冠に輝き、4番の座を川上から奪い取った。後継者が出来たことも川上の決意を後押しした。

 加えて巨人は水原茂監督が指揮を執るようになって9年。そろそろ“次”を考えなければいけない時期に来ていた。巨人を去らずに翌59年からコーチに就任した川上が、監督となったのは61年から。以後、14年間監督を務め、日本シリーズ11回出場ですべて日本一という、現役時代を超える栄光を巨人にもたらしたのは、コーチ時代の2年間の勉強があったからにほかならない。 

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