日めくりプロ野球 2011年10月

【10月19日】1989年(平元) ヤクルト新監督に野村克也 ちょっとゴネてみた理由

[ 2011年10月19日 06:00 ]

ヤクルトの監督に就任し、本社の女性から花束を受け取り笑顔の野村監督

 嬉しさをかみ殺してなのか、それとも本当にえらいことを引き受けたと思っていたのか、ひな壇に上がった54歳の体格のいい男は、終始目線を上げようとはしなかった。

 ヤクルトは東京・東新橋の本社で元南海の名捕手、野村克也捕手の90年からの新監督就任を発表した。契約金、年俸とも8000万円(推定)という、球団史上最も高額な条件だった。

 現役時代から底抜けに明るかった、巨人・長嶋茂雄三塁手とは対極の位置にいるとされた存在だったが、この就任会見でも「自信はない」と言い切った。

 「人気面ではいい球団になった。だが失礼な言い方だが、外からの印象では野球を天性でやっているように見える。野球は頭でするもの、というのが基本理念。限界を超える世界がプロ。ひと言で言うなら、ヤクルトは大味だ」。

 口ぶりは評論家のクセが抜けきらないようだったが、それではどうやったら勝てるのか、という段になると「自信がない」と言っていた男の言葉に熱がこもった。「ヤクルトの攻撃の生命線はクリーンアップ。出塁率3割台では相手が怖がらない。4割あって初めて恐れられるクリーンアップ」と断言。89年に広沢克己、池山隆寛、ラリー・パリッシュの3人合わせて395三振を100減らすことを筆頭に、相手が嫌がる打線の構築を目指すと宣言。投手陣も状況やカウントを考えた配球を徹底させるとし、感性でやっていたように見えた関根潤三前監督の“面白野球”を否定した。

 「あなたに受けてもらわない困る、と言われて」と監督になることを渋々同意したと説明した野村監督。本来は受けるつもりはなかった。

 ヤクルトは新監督に当初、浪人9年目の長嶋を考えていた。息子の一茂三塁手も入団したことで環境は整ったと判断した。しかし、その反応は芳しくなく、夏場に事実上断念。次に名前が挙がったのが、ファンの多い元阪神、西武の田淵幸一内野手と若松勉外野兼任コーチの2人だった。

 田淵氏については人気はあるが「指導経験もなく、勝てる野球ができるのか」という相馬球団社長の疑問で候補から外れ、若松については「球団最後の切り札。勝てる監督の下でしっかり勉強してから」という球団の親心から時期尚早となった。

 最後に名前が挙がったのがノムさんだった。ヤクルトからのオファーの前に、南海を追われた後に1年世話になったロッテ、南海から経営母体が変わったダイエーからそれぞれ監督就任要請があったが、これを野村は固辞した。理由の一つが「今の生活を変えたくない」というもの。かつてのプレーイングマネジャーも少年野球に携わり、その面白さも分かってきた頃。野球への情熱はあるとはいえ、古巣に戻る気はわいてこなかった。

 ヤクルトからの話も当初は断った。しかも、あまり好きではない長嶋が受け入れなかった話に自分がどうして…と言う気持ちが強かった。

 それでも野村は最終的に入団したのは、優勝から10年以上遠ざかり、毎年最下位争いをしているヤクルトが真剣にチームを強くしようという熱意に打たれたからだった。

 90年代に3度日本一になったその後のヤクルトの強さはもう語るまでもない。長嶋が受けなかったことで、ノムさんは名将としてその名を球史に残ることになった。

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