日めくりプロ野球 2011年10月

【10月12日】1974年(昭49) 中日 20年ぶり優勝が吹っ飛んだ 長嶋茂雄引退を表明

[ 2011年10月12日 06:00 ]

セ・リーグで優勝を決め、選手やファンに胴上げされる中日の与那嶺監督

 【中日6―1大洋、巨人7―5ヤクルト】午後8時9分、中日球場。ついにその瞬間が訪れた。大洋・山下大輔遊撃手のライナーを中日・島谷金二三塁手が拝むようにしてキャッチすると、マウンド上の星野仙一投手は帽子をとって右手に握り締め、雄たけびを上げながらガッツポーズ。駆け寄ってきた木俣達彦捕手が星野に飛びつくと、次々にナインが集まり、歓喜の輪が広がった。

 中日ドラゴンズが54年(昭29)以来、20年ぶり2度目のリーグ優勝を決めた。65年(昭40)から始まった、巨人のV10を阻止しての悲願の優勝だった。

 興奮のるつぼと化した名古屋から約370キロ離れた東京・神宮球場は、プロ野球の歴史に大きな足跡を残したプレーヤーが引退を決意して、試合に出場していた。巨人・長嶋茂雄三塁手は、17年間の現役生活に別れを告げることを決め、中日の優勝が決まれば、これを発表することにしていた。

 6回、ヤクルトの攻撃中に突然ネット裏の報道陣に巨人の広報からの知らせが入った。「試合終了後、球場内貴賓室で長嶋、川上監督が会見」。番記者たちは来るべきものが来たと感じた。シーズン前からささやかれていた、ミスター・ジャイアンツがユニホームを脱ぐ日。各記者は集めた情報を元に「長嶋 引退表明」の原稿を書き始めた。

 午後10時前、長嶋が口を開いた。「肉体的にも峠が来た。今年ほど“老い”を感じたことはなかった。17年間、自分でも本当によくやったと思う。それが現在の心境だ」。

 よりによって、中日の久々優勝の時にやらなくても…、という声も球団内部にはあった。しかし、事前に組まれたスケジュールがそうさせてしまった。

 26日に米大リーグのニューヨーク・メッツが親善試合のために来日。1カ月近くにわたって日本中を転戦することが決まっていた。それに合わせて日本シリーズは16日から組まれていた。中日は4日後にロッテとシリーズを戦わなければならないタイトな日程。シリーズ中に引退表明するわけにもいかず、親善試合終了後に伝えるのもファンに失礼にあたる。かといって、優勝の可能性が巨人に残されている以上、分かってはいても巨人の顔の長嶋が引退を表明しては、チームの士気にかかわる。結局、公式戦中にファンの前で長嶋が別れのあいさつができるのは、優勝が決まった後の13日の後楽園での中日とのダブルヘッダーしか残されていなかった。

 長嶋の引退表明で中日の優勝は割を食った形になった。各スポーツ紙の1面はドラゴンズの系列以外、すべて長嶋の記事。中日Vも1面に載ったが、いわゆる“肩”と呼ばれる2番手扱いの記事として紙面の端に寄せられた。

 水を差された中日は、雨で14日に順延になった試合で長嶋の引き立て役に。ロッテとのシリーズでも2勝4敗で敗れ、巨人から10年ぶりに王座を奪ったというのに、少々寂しい優勝となった。

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