日めくりプロ野球 2011年10月

【10月8日】1996年(平8) もう一つの「10・8」 松井秀喜 4連続敬遠で1本届かず

[ 2011年10月8日 06:00 ]

7回、4打席連続敬遠され、本塁打王が絶望となった巨人・松井。背番号47は中日・野口

 【巨人4―1中日】もう4度目となると、東京ドームに充満した不満の空気は爆発せざるをえなかった。

 フィールドに投げ込まれる、応援グッズのおびただしい数。「汚ねぇーぞぬ」「勝負しろよ、卑怯者!」「恥を知れ、恥を!」――。罵声、怒声、そしてため息…。あらゆる怒りと落胆の表現が、すべて噴出した。ナゴヤ球場での両チームによる、球史に残る“優勝決定戦”からちょうど2年。舞台を東京に移した勝負は、なんとも気持ちが滅入る結果になってしまった。

 96年の最終戦。中日の山崎武司左翼手の39本塁打を1本差で追っていた巨人・松井秀喜中堅手は、この試合に初のホームランキングをかけて臨んだ。が、中日バッテリーが選択したのは、勝負を避けた敬遠。巨人・長嶋茂雄監督が「1打席でも多くチャンスを」とプロ入り初の1番打者での起用という演出をも台無しにした、中日の野口茂樹投手と矢野輝弘捕手は初回、松井が先頭打者として打席に入ったときから、外角に大きく外れるボールを4つ続けて歩かせた。

 3回1死走者なし、6回無死走者なし、7回2死走者なし、いずれもそんな場面ではないところで、すべて外角に大きく外れるボールばかりだった。16球連続ボールで4打席連続敬遠。これで山崎の単独本塁打王はほぼ100%決まった。

 一方の巨人バッテリーは山崎に対し勝負し、3打数無安打1四球。巨人までこれ以上本塁打を打たせまいと敬遠をしたら、観客は何のために高い料金を払って、すでに優勝が決まった後の試合を見に来たのか。長嶋監督はあくまで勝負することを指示し、安易な四球は許さなかった。「最後だから勝負してほしかったね」。試合終了後、長嶋監督はそれだけを言うと、敬遠についての質問は一切受け付けなかった。

 「僕と野口で相談してこういうことになりました」。矢野はうつむきながら4敬遠について話した。とはいっても、最終的には星野仙一監督の指示だったのではないか――。

 「指示?そんな余計なことは言わん。打たれたら一生言われ続けるぞ。甘いんだよ巨人は。不満があるなら、ここに来るまで松井が1本多く打っておけばいいだよ」。俺にしゃべらせるな、とばかり星野監督の表情は不機嫌そのもの。巨人に闘志を燃やし、逃げることを絶対に認めなかった、星野監督が山崎の初のタイトルのために、信念を曲げた、96年のラストゲームだった。

 意外と一番サバサバしていたのは、松井本人だった。「ものの見事にやられましたね。でもしょうがない。タイトルを取れなかったのは、悔しいけど、“あの時”の方が悔しかった」。“あの時”とは92年8月、夏の甲子園。石川・星稜高の4番だった松井が高知・明徳義塾高戦で受けた5打席連続敬遠のことだった。

 翌97年もヤクルトのホージー外野手に1本届かずタイトルを獲れなかった松井。初のキングの座に就いたのは98年。入団6年目のことだった。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る